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集団精神療法

自助グループによる活動は、
専門家による治療ではなく、同じ問題を抱える仲間が集まって体験談や悩みを話し、
そして共感することで、依存症からの回復に役立つとされている。

多くの集団は、助け合いの集団となっている反面、
自助集団というのは、助け合いをする集団ではないと考える。
「断酒するかしないかは、自分で決める」というのが基本である。
集団を利用しなくても自分で断酒するということが基本だったら、集団は要らないのか?

自助と集団というのは、そのままでは結びつかないのではなのか。
自助というのは、あくまで自分で自分を助けることだから、やはり個人が単位であり、
個人が自分で責任をもって果たさなければならない。
そこで、なぜ集団が必要なのか、そこがわかりにくいわけだ。

ある程度、お酒を止められると、俺のように例会に出てこなくなる人がいるが、
それは、この自助と集団という二つの概念の関係を、俺は充分に理解していないのかもしれない。

ひとりひとりが自立していることが条件だとしても、
そうではない人が入ってきたときに、その人を排除できるのか?
最近の自助グループでは、同じ人たちが長いあいだ集う結果、
「気心の知れた友人」の集まりになりつつある。
新しく会に来た人は、他の人の親密な様子を見て、居心地が悪いから定着しない。
古い人たちも「新しい人が来ない」と口ではいいながらも、いまの集まりに満足している。

例会では体験談を語るということになっているが、
ベテランさんはお互いの体験談は、もう耳にタコができるほど何度も聞いている。
だから、体験談といっても深刻な話ではなくて、軽い近況報告のような軽い内容の発言となる。

そこに、必死に心の葛藤と戦っている人が、その例会に参加すると拍子抜けしてしまう。
それに、他の人がみんな、すごく仲が良さそうだと、自分ひとりが浮いているみたいで居心地が悪い。
それで、その人が出席をやめてしまうと、「ああ、残念ですね」と、口では言いながらも、
やっぱり気心の知れた友達ばかりの集団のほうが、安心できて楽しいという気持ちもある。
結局、そのグループは「仲間の集まり」というよりも、「友達の集まり」になってしまう。

「仲間の集まり」は外に開いている
「友達の集まり」は、外に開かれていない。

個人の回復が、あくまで個人の問題なら、
結局、ある程度回復したら会を離れるということになると思う。
しかし依存症の場合は、会から離れたら危ない、また飲んでしまう危険性が出てくるという。

俺の場合は、断酒が維持される程度の参加にしておく、という結論に達した。
断酒会との関係は、つかず離れずの関係を維持している。
しかし、ある程度回復したベテランさんが、みんな「つかず離れずの関係」でいるとすると、
これはでは断酒会の活動が、停滞してしまう。
ただ、行事こなしと予算消化に特化してしまうと、新規参入者はドン引きしてしまう。
決して、会員の増加だけが会の発展ではないと思う。

新しくきた人、新人というのは、ただひたすら必死である。
断酒会を発展させるのにはどうすればいいかなんて考えている余裕はない。
個人の回復が自助集団の働きを通して得られたものなのならば、
出席回数を増やしたり役職に就くよりも、
個人の回復こそが、自助集団の働きに逆に貢献するようになると思っている。


つづく。


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