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実母との確執

精神病院を退院して出てくると 人と少し話をすれば
ホントに心配してくれる人、冷やかしの人が手に取るようにわかります。
親族や同級生、仕事でお世話になっている人は親身になって心配してくれます。
近所の人やあまりかかわりの無い人は 
面白がってぺらぺら喋っているんだろうなというのがわかります
アル中アル中と馬鹿にしているんだろうな と思ってしまいます
  
アルコール依存症になったのは自分の責任です。
今後は、迷惑をかけた全ての人に償いがしたいです。
焦らずに、人としての道を踏み外さないようにじっくりとやって行きたいと思っています。

私は妻子と私の実母と実家暮らしです。
アルコール依存症になった要因のひとつとして、同居している私の母親との不仲があります。
彼女は、男の人だったら「おれがおれが」の人で、自己中心です。
常に上から目線です。なんでも命令口調です
話題の中心に自分を置かないと気が済まない性格です。
口を開けば武勇伝にも似た自慢話と、世間話とは程遠い人の悪口、陰口
妻には聞こえないところで 私や孫達のいるところで妻の悪口
エピソードはここでは書ききれないほどたくさんあります。
それを聞くのが嫌で私は事務所にこもって酒に逃げていました。
彼女が寝室に上がるのを見計らって食事や風呂に自宅に戻っていました。
数年前に亡くなった私の父も、家に帰りたくないので、外で飲み歩いていました。
  
妻は、私の母親との性格の不一致のことで市の福祉課や家族支援センターに相談に行ったそうです。
しかし80年以上培ってきたその性格は直ることは有りません。
孫も大学生なので大体のことは理解出来ています。
いつものように妻への陰口が始まると子供たちは自分の部屋に行ってしまい聞く耳を持ちません。
現在では私も妻も彼女とは必要最小限の会話しかしません。
夫婦揃って断酒会の例会に出席することも、あまり良くは思っていないことでしょう。
彼女は私の病気のことを単に肝臓病だとしかとらえていません。
精神病院に入院していたことも、アルコール依存症だということも、アルコール性肝硬変も、
彼女にしてみれば「汚れ」なのでしょう。
アルコール依存症とアルコール性肝硬変で死にかけたことも認めないでしょう。
しかし、なぜ私が彼女の言う肝臓病になったのか?というところからこの病気は始まっています。

気苦労をした妻も現在は週に4日パートに出ています。
夜は断酒会の例会にも同伴してくれます。
私の母親との接点が少なくなった分、こころなしか妻の性格が丸くなってきているように感じます。


つづく。








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性格に難あり

私はアルコール依存症であることに気付かされ、精神病院に入院して5カ月、
身も心も元に戻るまでにさらに半年掛かりました。
異常酩酊、連続飲酒の期間も含めると合計で約2年の月日を費やしました。
家族をはじめとする周りの人たちからの信用信頼の回復は、さらに長い年月を必要とすることでしょう。
もしかするとそれは、私が死ぬまで達成することが出来ないかもしれません。
さらに、アルコール依存症は完治不可能な病気です。何時飲酒欲求が起きるか分かりません。
もしこの先また飲酒欲求が湧き、酒を飲んでしまったとすると、
更なる苦しみを味わうこととなるでしょう。

他人の話に、スリップを重ねるたびに飲酒欲求は高まり、それを止められなくなると聞きます。
それは自分の寿命を縮めることと繋がります。
アルコール依存症患者の平均寿命が52~53歳だと言われるのも頷けます。
その中には自死も含まれています。
飲み続けたりスリップを重ねると、内臓が壊れるのが先か、精神が壊れるのが先か、
だと思います。

アルコール依存症になると、一般的に言われる「適量」で抑えることが出来なくなり、
ブラックアウトするまでとことん飲んでしまいます。
私は一気にがぶ飲みするタイプの飲み方ではなく、
長時間飲み続けるタイプで常に体内にアルコールが回っている状態でした。
宴席の数が減り、家飲みの時間が増えはじめ、独り静かに飲んでいました。
私のような飲み方をするアルコール依存症を「自滅型」といい、一番タチが悪いそうです。

アルコール依存症は真面目で物事にハマりやすく、神経質な性格の人に多い病気だそうです。
私も、一つのことに集中すると几帳面に寝る間も惜しんでやってしまうところがあります。
スケジュール表が真っ黒になっていないと落ち着きません。
予定していた仕事が終わると、次の日の仕事に手を伸ばしてしまいます。

退院後は規則正しい生活を心がけるあまり、
スケジュール表通りに起床、食事、運動、休養、睡眠時間を徹底しすぎる傾向があります。
特に食事は野菜中心で腹八分、良質のタンパク質摂取、塩分控えめ、油分NG
コンビニ弁当NG、外食NG。 妻には苦労を掛けています。
持って生まれたこの性格だけは、なかなか方向転換が難しいものです。
退院して断酒を続けている現在も、頑張り過ぎないようにガンバってます。

以前はPCの隣に焼酎とウーロン茶がありました。タバコもヘビースモーカーでした。
断酒禁煙の今は、コーヒーと0kcal炭酸水、それと甘いものが手放せません。
甘いものは少し控えなければいけませんね。


つづく。









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嘘がバレた(否認)

精神病院入院中の話です。
私は義務外泊の時に大きな間違いを犯してしまいました。
この病気を軽視してほんの少しとは言えスリップしてしまいました。
缶チュウハイを2口飲んでしまったのです。
今から考えてみるとアルコール依存症と肝硬変をナメていました。
  
義務外泊の目的は、お盆を控えお墓の掃除をすることでした。
自宅に帰るとすぐに入浴夕食を済ませ、片付けをする為に事務所へ行きました
書類の整理をしたり、ネットで調べ物をしていたら目が冴えてしまい、
とうとう一睡も出来ずに朝を迎えてしまいました。
翌朝はトラックに掃除道具を積込み8時にはお墓に到着、姉夫婦も手伝ってくれたおかげも有り
作業も早めに終了しました。
  
しかしここからが問題です。帰り道でトラックのエンプティランプが点滅していることに気付き
私はガソリンスタンドへ給油に行きました。
給油後ガソリンスタンドの近くのコンビニに0kcalコーラを買う為に立ち寄ったところ、
コーラの隣には缶チューハイが売っていて、思わずそちらに手が伸びてしまいました。
罪悪感などありませんでした。入院前からの条件反射(パブロフの犬)です。
家に帰りそれを袋から取り出した時、罪悪感が沸き上がってきました。
しかし、「睡眠薬替わりに少し飲めばいいか、バレなければいいか」と、
浅はかな考えが先に立ってしまいました。
前日徹夜の私は、缶チュウハイを2口飲んだところで睡魔に襲われてしまい眠ってしまいました。
私が眠って1時間ほど後、帰宅した妻にそれを見つかってしまい、
シンクに、残ったチューハイを捨てられました。
そしてそのことを病院にも通報されてしまいました。
  
でも発見されて良かったと思っています。
もし発見されていなかったらその後も隠れて嘘をつきながら飲酒をしていたことでしょう。
アルコール依存症は否認の病気とも呼ばれています。
常に人に嘘をつきながら隠れて酒を飲んでいました。

アルコール依存症末期ともなると、
・金が掛かるので、居酒屋より家飲みが多くなる
・外出時用に焼酎をペットボトルに小分けする
・家族が寝静まった深夜早朝にコンビニで買ってきて飲む
・外回りの時に車内で飲む
・昼休みにトイレに入って飲む
・夕方5時が待てずにコンビニの駐車場で飲む
・晩酌は晩酌でキッチリ飲む
・店員にアル中だとバレないように酒を買う店をローテーションで変える
・ゴミ収集日に大量のペットボトルと空き缶がバレないようにコンビニでこまめに捨てる
・固形物を食べなくなる
・風呂に入らなくなる
・ヒゲを剃らなくなる
・マスクと飴、消臭芳香スプレーが必需品になる
・などなど。

本人はバレていないと信じているけど、
周りは気付いているけど知らないふりをしているだけです。
本人は、赤ら顔で呂律が回っていないことに気付いていない。手の震えを隠すのが精一杯です。
飲酒欲求を満たすことしか考えていないので、周りが見えなくなってしまうんですよね。
そんな人が周りに居たら、私のような「死にぞこない」になる前に注意してあげましょう。

つづく。









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適度に断酒会出席

退院後から続いていた微熱がなかなか下がりません。
せっかく入会した断酒会も、1週間サボってしまいました。

微熱も下がり妻と一緒にいざ断酒会例会へ出発!
車で50分、例会場に到着、そこは○○市の公民館の一室でした。
そこで待っていたのは参加費¥100の関所。
(なんだよ~会費の他に毎回100円払うのかよ~、入院中の院外研修の時は無料だったのに~)
出席者は年齢層高めのおじさんとおじいさんが10名ほど。
(入院していたときの仲間は同年代や年下の人も多かったのにな~)
まあいいか、
とりあえず自己紹介がてらアルコール依存症になるまでの経緯と、
入院生活について喋ってきました。
というか、記録として残すように文章化したものを朗読してきました。

悪しき思い出を掘り起こして、その都度反省するのは良いことだと思います。
例会で見聞きしたことは秘密が守られているので、
人に言えない恥ずかしい経験も素直に喋ることが出来ました。
感想としては、人によって病気になるまでの経緯、精神病院入院経験の有無、
病気への向き合い方も十人十色、マネをしようとは思いませんが参考になりました。

妻も私の隣で、バカ旦那への文句とも愚痴とも取れるような発言で発散していました。
実際、周りの協力が無ければ私は今ごろどうなっていたかわかりません。
特に家族には迷惑を掛けっぱなしで一生頭が上がりません。
子供たちもまだ大学生も居るので金が掛かります。
あいつらが巣立つまではもう倒れるわけにはいきません。
しかも私の内臓は肝硬変で、飲酒すると死んでしまうので“断酒”の一択です。

それから週3回ペースで例会に出席していきました。
仕事や地域の集まり、子供の用事と重なった時は断酒会よりもそちらを優先しました。
残業の時は残業を優先します。
決して無理をしないように断酒会と付き合っていきます。
行事や講演会、研修会やシンポジュームにも参加しました。
月1回のアルコール依存症と肝硬変の通院も欠かしませんでした。(現在は3ヶ月に1回)

自分で言うのも何ですが、私は真面目でのめり込みやすい性格なんです。
つい突っ走ってしまうので、自分を止めるブレーキが必要なんです。
頑張りすぎないこと、本気になり過ぎないことが大切なんです。
アルコール依存症の中には、私のような性格の人が多いと聞いたことがあります。

これからも、あまり無理せずこの病気と向き合っていきます。
しかし、一生断酒だけは絶対です!

つづく。








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精神病院退院直後

私は晴れて精神病院退院の日を迎えました。
大きな荷物を両手に持った私を、病室の仲間がエレベーターの昇降口まで見送りに来てくれました。
仲間は口々に「退院おめでとー、頑張れよー、もう帰って来るなよー」と言ってくれました。
仲間とはそこでお別れ。(入院患者は許可無くエレベーターには乗れないんです)
そして、医師をはじめスタッフのみなさんにお礼を言い、清算を済ませ病院を出ました。
外は残暑がまだ残る9月中旬、冷暖房完備の院内とは別世界の灼熱地獄です。
暑いけど、降り注ぐ日差しが“”生きてる“”って感じで気持ち良かったです。

そして、迎えに来た妻の車に乗りいざ帰宅。
道中、コンビニに寄ってアイスとコーラを買いました。
久しぶりに自分の財布からお金を出して買い物、感無量です。
帰宅して仏壇の仏さまに線香をあげ、仮眠を取りました。
仮眠のつもりが、起きると窓の外は暗くなっていました。
体力を無くした私の身体は、たった1時間半の車移動も辛かったんですね。
夕食には、病院で栄養指導を受けた妻が渾身の病人食を作ってくれました。
少量で薄味、決して美味しいとは感じませんでしたが5カ月ぶりの妻の手料理に感謝しました。

退院後、丸1日ベッドの上で休養を取り、次の日から仕事に出ました。
早く仕事がしたかった、勘を取り戻したかった、焦っていました。
しかし、病み上がりのようなふわふわした感じで地に足が付かず、
とにかく車の運転が怖かったのを覚えています。
なんとか午前中を乗り切り、昼食を取ってしばし昼寝、のはずでしたが、
その日も夜まで目が覚めませんでした。
焦りは禁物、次の日からは内勤を余儀なくされました。

翌日、ホコリの溜まった職場の清掃。
空いた酒瓶と空き缶は妻と子供たちが片付けてくれていました。
「掃除してくれてありがとう」と言うと、
家中の酒、徳利、お猪口、ビールジョッキ、ワイングラス、料理用酒やみりんも捨てたそうです。
事務所清掃を終えPCを開くと未読メールが2000通以上、削除に時間がかかりました。
郵便物やファックスは、入院中に妻が見舞いの時に持参してくれていたので助かりました。
入院前の書類に目を通し、記憶をさかのぼりました。
録っておいた音楽や映像も古いものから順に見聞きし、記憶を無くしていないことを確認しました。
結局記憶が無かったのは入院直前直後だけでした。
酒を抜いたことによる離脱症状だったんですね。

記憶があることを確信した私は、入院前のことをひとつひとつ思い出していました。
転んで血だらけになったこと、暴言を吐いたこと、仕事で重大なミスを犯してしまったことetc。
酩酊泥酔していた時の言動を思い出すたびに恥ずかしさと後悔がどんどん込み上げてきました。

決して忘れてはならないのが、家族にかけた迷惑、反省と感謝の気持ちです。
家族には、残された一生をかけて罪滅ぼしをしなければなりません。
全てを一度失った私は、周りからの信頼回復にも努めなければなりません。
飲酒欲求など起しているヒマも資格もありません。
一生断酒を心に誓い、これからも生きていきます。


つづく。










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依存症になる性格

自分の性格とアルコール依存症の関係について軽く分析してみました。
  
私は、無駄なことが嫌いです。そして空いている時間が嫌いです。
スケジュールどおり何日の何時に何処に集合、何時に解散とか
何時に次の仕事場に行かないといけないから、ここを何時に出るとか
17時までに終わらす仕事が16時に終わってしまった場合、次の日の仕事を始めてしまいます。
とにかく無駄なくスケジュールを埋めていくのが好きです。
だから、ことがスケジュール通りにいかないとイライラします。
そのことで周りの人たちにもだいぶ迷惑をかけたんだろうなと思っています。
自分の作ったスケジュール表を見ても睡眠時間以外は空白な時間が少ないです。
以前は、予定の無い日曜日はその空白の時間を埋めるべく朝から酒をあおりました。
仕事が甘い日は、昼間から隠れて酒を飲んで無駄な時間を埋めていました。
この性格が昼夜逆転、連続飲酒の原因の1つだと考えています。
退院後から作り始めたカレンダーとスケジュール表も無駄な時間を恐れるがごとく作り続け、
病み上がりにもかかわらず、私が120歳になった時のぶんまで完成させていました。
以前にも書いたように、私は真面目で物事にハマりやすく、神経質な性格です。
一度集中すると几帳面に寝る間も惜しんでやってしまうところがあります。
スケジュール表が真っ黒になっていないと落ち着きません。
持って生まれたこの性格だけは、なかなか方向転換が難しいものです。

当分は無理をせずに療養しようと思ってはいたのですが、
周りが師走で忙しく動いているのを見ると、早くあの輪の中に入りたい、
「今まで通り仕事がしたい」と、気ばかりが焦り落ち着きませんでした。
アルコール依存症と肝硬変になってしまった以上、もう酒には逃げられません。
子供もまだ大学生がいますし、子育てが終わるまでは頑張らなくてはなりません
先に死ぬわけにはいきません。焦らずに焦らずにと、自分に言い聞かせています。
妻も自分のこと以上に私の身体を気遣ってくれています。
毎回一緒に例会にも参加してくれてます。
例会が続き 私が「明日は休もうよ」と言うと
「それなら私だけでも行く」と言い、妻が私を例会に引っ張っていってくれます。
私の肝臓を気にして美味しくない制限食にも付き合ってくれてます。
ウォーキングも、自分のダイエットの為だと言って付き合ってくれます。
  
妻は、何にでも深く突っ込み突っ走ってしまう私の性格のブレーキでもあり、
突然イヤになって投げ出してしまいがちな私のアクセルペダルでもあります。
妻にはいくら感謝しても足りません。

私の病気で、どれだけ周りに気を使わせているか、どれだけ協力してもらっているか。
どれだけ迷惑をかけているか、身をもって感じています。
  

つづく。








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肝硬変 2

肝硬変について調べなおしてみました。
入院する前から 黄疸、むくみ、腹水、出血が止まらない、鼻血、吐血などの自覚症状はありました。
なので入院するだいぶ前から肝硬変だったんだと思います。
私はビビリなのでついつい「肝硬変余命」「肝硬変生存率」で検索してしまいます。
文献による3年生存率とか肝臓がんに移行する確率などを再度見なおして
大変な病気にかかってしまったんだなと改めて感じました。

精神病院を退院して家に戻った私は、アルコール依存症と肝硬変の治療のための通院、
断酒会例会への出席の日々が始まりました。

肝硬変はチャイルドピュー分類グレードC 3生存率30%からのスタート。
精神病院入院中から、別の総合病院での内科外来通院4カ月。
退院して近所の病院への通院が始まりました。
最初2.9g/dlしかなかったアルブミン値も3.3まで上がっていました。
転院して初めての通院日、医師からは、悪いながらも回復傾向にあると診断されました。
服薬、食事制限、特に「アルコールだけは絶対に飲んではいけませんよ」
「まだ死にたくないでしょ?」と言われました。
食事制限も厳しく、油分と塩辛いものは控え、良質のタンパク質を取るように言われました。
ということは、外食とコンビニ弁当はNGです。
それからの私の食生活は、野菜中心で豆腐と納豆と鳥のささ身ばかりになりました。
適度な運動も欠かしませんでした。
しかし、断酒の経験がある人には分るでしょうが、
急にアルコールを断った体は無性に糖分を欲するのです。
饅頭と大福が止まらなくなりました。(洋菓子はリキュール類使用のケースが多いのでNG)
幸い血糖値は正常で、糖尿の心配は有りませんでした。
それから、飲酒欲求抑制のために水分をたくさん取るようになりました。
暑い日は0kcalの炭酸水、寒い日はコーヒーと緑茶、これも止まらなくなりました。
そしてそれは、3年経った現在も変わることは有りません。(節制せねば。。。)

通院を始めて1年が経ったころ、ようやく私の肝硬変はチャイルドピューBになることが出来ました。
アルブミン値も3.6g/dlまで上がりました。
20リットルのポリタンも持ち上げられないほど落ちていた筋力も戻り、力仕事もできるようになりました。

そして通院2年を過ぎたころ、事件は起きました。
アルブミン値も4.2g/dlまで上がり、チャイルドピューAになることが出来ました。
医師からも「会社の健康診断なら引っかからない程度には回復してますね」と言われました。
一見順調そうに思えた私の肝硬変ですが、
腹部の超音波検査(エコー)で引っかかりました。
CT,MRI、エコーの検査を半年に1度の割合で行っているのですが、
私の肝臓に白くぼやけた影が発見されました。
その翌週、造影剤入りのCT検査を受けることとなりました。
結果は1か月後ということで、まあその1ヶ月が長いこと長いこと。
「酒も飲んでいないのに、こんなに節制もしているのに」と、ひどく落ち込みました。
良からぬ想像ばかりが頭の中を駆け巡りました。
もし肝細胞癌だったらどうしよう、そうなると余命は?
仕事のことはどうしよう、家族のことはどうしよう、ネコの世話はどうしよう?
癌を克服して、仕事を今まで通りやっているか?子供たちは結婚しているか?
それとも、病気が悪化しているか?もうこの世には居ないか?
もしそうなっていた場合、家族はどうしているのか?
いろんなことを考えると、頭の中がグチャグチャになりました。
悩んでばかりいないで、今を一生懸命生きるしかないと言い聞かせました。
しかしCTの検査では、特に異常はないということになり、
生きる望みが復活しました。

次回は退院後の生活について書こうと思います。

つづく。

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肝硬変 1

これまで書いて来たように、さんざん飲んで心を病んでまた飲んでを繰り返してきた私ですが、
アルコール依存症が発症する以前から、健康診断で医師からは脂肪肝を指摘されていました。
腹部のエコー検査の結果からも、目視可能なほど私の肝臓は白っぽく見えました。
医師からの「お酒はどのくらい飲まれすか?」との問いに、
「毎日焼酎のお湯割りを3杯くらいです」と答えました。
本当は25度の焼酎を3合は飲んでいたんですけどね。
下された診断では要精密検査と出ていましたが、それを無視し続けました。
当時の私にとっては、酒が飲めなくなることのほうが恐怖でした。

月日は過ぎ、先ほどの健康診断から5年ほど経ったころから、
隠れ飲み、昼夜逆転、連続飲酒が始まりました。
仕事のミスが多くなり、体力が持続しなくなり、手の指先が震え始めました。
手の震えは酒を飲むと止まります。
飲むと脳がマヒするので、夢中になって徹夜作業をしたりします。当然飲みながらの作業です。
飲んだ勢いだけで仕事をするのでミスは多くなります。
そしてあの悪夢のような吐血と下血の日を迎えるわけです。

精神病院に入院して離脱症状も徐々に治まってきたころ、そこでは内科の診療が不可能ということで、
精神病院の近くにある総合病院の内科外来を受診することになりました。
まだ体に力が入らない状態だったので、車椅子に乗っての受診です。
採血をして出てきた結果は、重度のアルコール性肝硬変でした。
腹水、黄疸、浮腫みも指摘されました。
ひどくなると吐血をして死に至るケースもあると脅されました。
私が吐血して精神病院に入院した時に、医師から家族に対し、
「72時間以内に変化があれば覚悟をしてください」と言われたのも頷けます。
私の肝硬変はチャイルドピュー分類でグレードC(重度の肝硬変で非代償性)
肝硬変の中でも最も悪い症状でした。
そこで医師からは「この先一生酒を飲むことはできませんよ」と言われました。
「あ~、ついにこの時が来たかぁ」と落胆の色が隠せなかったのを覚えています。
飲んでいたころは周りに「酒は毎日飲んでるよ、病気になるまでは飲み続けるよ」と言っていました。
肝臓が悪くなっているなとは思っていましたが、まさかの肝硬変。
その中でも最悪のグレードC。 
後に書籍で調べてみると、3年生存率30% 正直落ち込みました。
肝硬変の薬を処方してもらい、精神病院での食事も他の入院患者とは別メニューとなりました。
その後も精神病院から総合病院への通院は続きました。

肝硬変の通院が4カ月ほど経ったころ、一方のアルコール依存症は回復の兆しを見せ始め、
精神病院は、晴れて退院することが出来ました。
肝硬変の治療は、紹介状を書いてもらえるということで、
自宅の近所の病院に通院することになりました。
続きは次回に書きます。

つづく。









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断酒会入会

精神病院に入院し廃人と化していた私は、退院なんて夢のまた夢、
このままここで余生を送るのだろうか?と半分諦めていました。
5カ月と時間は掛かりましたが、めでたく退院することが出来ました。

退院した私は、すぐに断酒会に入会しました。(会費あり)
断酒会例会は全国各地で行われており、私は家の近くの支部に所属することになりました。
AAも断酒会同様、全国各地でミーティングが行われています。(会費無し)
断酒会かAAかと言われると即答できませんが、
足を運んで自分に合ったところを選択すれば良いと思います。
どこにも所属せずに自力に断酒と向き合っている人もいらっしゃいます。
ブログやTwitter、You Tubeを活用している人もいらっしゃいます。
選択は個人の自由なので、最も断酒が可能な方法を見つけるのも楽しいですよ。

私が断酒会を選んだ理由は、
入院前から妻が断酒会の人にアドバイスをもらっていたこと、
知り合いが入会していること、
近所で例会が頻繁に行われていることなどです。

私の支部では週2~3回(月15回)の例会があります。
最初のころはオールコンプリートしていましたが、現在は月に3~4回の出席です。
AAにもたまにチャレンジしています。

断酒歴も3年を過ぎましたので、
今は断酒の気持ちを忘れないように、私の存在を忘れられないように、
たまに顔を出す程度になりました。
例会は平日19時からなので、仕事との兼ね合いもあるので出られるときに出ています。

私は例会に参加する際、発言したい内容を文章化してから望むようにしています。
それは、しゃべる内容を忘れないように、同じことをしゃべらないように、
後々読み返して、その時々の心境を思い返すように、
もし飲酒欲求が襲ってきたら、それを読み返して踏みとどまれるように。
幸いなことに、退院してからは一度も飲酒欲求が湧いてきたことがありません。
酒宴の席で隣の人が飲んでいても気になりません。
ノンアルコールビールを口にしても、本物のビールを飲みたくはなりません。
「アル中にはノンアルは危険だ」と言われますが全然平気です。
それは以前にも書いたように、私が壮絶な「底つき」を経験しているからだと思われます。
私は酒で死にかけているんです。飲むはずがありません。

今まで書いていませんでしたが、私にはもう一つの飲んではいけない理由があります。
それも命にかかわることです。

次回はそのへんから始めます。

つづく。











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解放病棟から退院

2回目の解放病棟のスタートは順調でした。
頭もスッキリし、ノートに書く文字も普通に読めるようになりました。
保護室、閉鎖病棟、解放病棟の意味も理解で出来るようになりました。
日々のアルコール依存症についての読書で、この病気の知識も増えていきました。

解放病棟に移り、1週間のインターバル期間を終え、
いざ断酒プログラム開始!
と思ったのもつかの間、私は原因不明の発熱に襲われました。
尿意をもようしたのでトイレに行こうとしたのですが、ベッドから起き上がることが出来ません。
猛烈な体温の上昇で頭も朦朧としていて、転がるようにして床に落ちました。
歩く以前に床からも立ち上がることが出来す、私は失禁してしまいました。
あまりの恥ずかしさに耐え切れず、当直の看護師に「家に帰らせてくれ」と言いました。
まあ、そんな私の発言など受け入れてもらえるはずもなくオムツを履くことになりました。
インフルエンザを警戒されたのか、翌日にはトイレ付きの特別室(個室)に隔離されました。
特別室に移り、たった1日で熱はウソのように下がりました。
発熱による脱力感はあるものの、食欲もあって至って健康。
熱が下がってから看護師に聞かされたのですが、
ピーク時には体温が42.3度もあったそうで、転院の話も出ていたそうです。
そんな体温聞いたことも無かったので、私本人もビックリでした。
その後、経過観察のため6日間特別室に居たのですが、いや~快適でした。
7日以上特別室に居ると特別室使用料が発生してしまうため無理を言って戻してもらいました。

仕切り直して断酒プログラムの開始です。
プログラムに入ると、アルコールで入院している人は他の患者さんとは別室になり、
日々断酒のことばかりについての教育が始まります。
院内交流会、ミーティング、座談会、ビデオ鑑賞会、断酒会やAAのメッセージ、
そして院外研修として、近隣の断酒会例会、AAのミーティングに参加。
午前中は時間があったので、アルコール依存症についての本を読み漁りました。
毎日が忙しかったです。

そんな断酒プログラム漬けの日々にも慣れてきたころには、
早く家に帰りたい、早く家族に会いたい、早く仕事がしたい
といった欲求が溢れるようになってきました。

プログラムの合間に、義務外泊が2回ありました。
1回目はお盆が近いので墓地の清掃、2回目は家の近所の断酒会例会に参加しました。
家の食事、家の風呂、家の布団は気持ち良かったです。
1回目の義務外泊の時、事件は起きました。
炎天下の墓地清掃でのどが渇いたのでコンビニへ。
入院前のクセで私は缶チューハイを買って飲んでしまいました。
それは飲酒欲求とは別なもので、条件反射いわゆるパブロフの犬です。
それを妻に見つかり、酷く怒られました。病院にもチクられました。
この3年間で酒を口にしたのはその時だけです。
不用意な行動に反省しています。

そして断酒プログラムを始めて83日目、ついに退院することが出来ました。
保護室から始まった入院生活は、合計で158日でした。
通常のアルコール依存症の入院なら約3ヶ月ですが、
私の場合は断酒プログラムに入るまで、この世の人間に戻るまで、
2カ月かかってしまったので約5ヶ月の入院となってしまいました。

退院の日の帰り道、妻の運転する車の中で食べた、
チョコモナカジャンボとコカ・コーラゼロの味は忘れることが出来ません。

精神病院を退院した私は、その月から断酒会に入会することになります。

つづく。










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