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メル友

約20年ぶりにメル友募集掲示板にでも行ってみようと思い検索してみました。
今はSNSが主流なので、メル友なんて死語に近くなっています。
内心、もう無いだろうなと思いながら開いてみました。
そうしたら、何件かヒットしました。
まだやっている人も居るんだなと懐かしささえ感じました。
しかし、出会い系がほとんどだったのでがっかりしました。
  
20年前はメル友がまだ流行っていて、私はサイトも運営していました。
多いときには通りすがりの人を含め毎日50人くらい、
同年代の人たちと掲示板やチャット、メールを交わしていました。
そして今回検索した結果、ある1つのメル友募集掲示板に着陸しました。
そこはメル友募集するジャンルが細細分化されており、
地域別とか、職業別とか、年齢別とか、趣味別とか、相談相手募集とかありました。
私は、その中の相談相手募集の中の「心と身体」というところに入ってみました。
そこにはさまざまな精神疾患に悩む人たちが、メル友募集をかけていました。
私は「これだっ」と思い、そこに投稿することにしました。
  
表題は、アルコール依存症。 
内容は、「私はアルコール依存症です。精神病院入院の経験があります。
現在断酒継続中です。同じ病気で悩んでいる方、またそのご家族の方、
メールしませんか。」と書きました。
  
翌日メールチェックをしていると、
仕事のメールの中に掲示板を読んだという方々から8通もメールが来ていました。
その中の7通は出会い系を求めるメールだったので即刻削除しました。
1通はアルコール関連のメールでした。
  
その方は、父親が酒乱で家族が非常に迷惑している。
だから私は酒を1滴も飲まないといった内容でした。
私は、異常酩酊とアルコール依存症についての説明を添えて返信しました。
そして、もうちょっと突っ込んだ私の自己紹介文を書いてそれを添えておきました。
もしその気があれば、また返信してくれることでしょう。
  
自分の勉強にもなるし、メールもたまには良いもんですね。
またころあいを見て、投稿してみたいと思っています。
  
つづく。









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周囲からの偏見

GW本格的に突入ですね。
みなさんも自粛生活にも慣れて来たころではないでしょうか?
しかし我々アルコール依存症者は油断は禁物!家飲み厳禁!
ノンアルでも、オンライン飲み会には絶対に参加しないでください。
誰にも見られていないと飲みます。
隠れ酒が得意なみなさんならば。ご承知ですよね。

今になって思います。
私は、家族に対して何をしてあげられて来たんだろうと。
当時の私は、仕事とお付合いと酒しかなかったように思います。
急な仕事が入ればそれに夢中になり、昼夜分かたず休日も仕事をしていました。
深夜まで、あるいは徹夜して仕事をしていました。
そして夜になれば、お付合いで家に寄り付きませんでした。
妻には何度送迎をしてもらったことでしょう。

何も用事が入っていない夜や休日は、家で酒を飲んでいました。
子供たちは子供たちだけで遊んでいました。
買い物に行く時も妻の車で子供たちを連れて行き、
私は相変わらずお留守番をしながら飲んでいました。
日ごろから家事の一切を妻に任せ、子供たちのことも妻に任せっぱなしでした。
子供たちには何をしたかというと、ごくたまに送り迎えをする程度。
どこかに連れて行くというと、年に1回の消防団の家族慰労会でバス遠足くらいでした。
家族慰労会のバスの中では、消防団員であるお父さんたちだけで固まって
バス宴会が始まる始末でした。
この様に私は対外的なことと酒ばかりで、自分のことしか考えていなくて、
家族に対しては、何もやってやれてなかったと言うことを、
病気になって初めて気づかされました。
  
私は病院に入院する前から、家族には目に見えない迷惑をかけてきたんです。
これから、どのようにして罪滅ぼしをしていくか、
何をすればいいのかわかりませんが、家族に認めてもらえるまで努力します。
  
このように、断酒をして、頭と身体がスッキリしてからは、
病気になる前には気づかなかったことが徐々に見えてきました。
  
あと、気がかりなのは仕事の面です。
入院前、あいつの飲み方が変わったとウワサになり始めていて、
入院したら、5カ月も病院から出て来ない。
そんな感じで、周りの人たちは私の病気が何なのか、だいたいわかっていたと思います。
影では、今でも「あいつはアル中だ」と言っている人も少なくないと思います。
田舎の狭い地域なので、うわさが広まるのも早いです。
おかげさまで、現在は以前のように仕事をさせてもらっていますが、
一度広まってしまったうわさは尾ひれを付けて、どんなうわさに拡大するかわかりません。
「あいつは酒のせいでもう長くはないんじゃないか?」と言われているかもしれません。
退院して、徐々にではありますが、信用も回復しつつあります。
しかし、「あいつはアル中だから」という偏見は消しきれないと思います。
これからは、そんなこととも戦いながら、
断酒継続して行こうと思います。

みなさんも、酒の誘惑と周囲からの偏見に負けることなく
断酒を続けましょう。
きっと良い風が吹いてくるはずです。
  
つづく。









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頑張り過ぎない

最近はネットもテレビもコロナ関連ばかりですね。
半年前あたりから、テレビのグルメ番組やお酒を飲む番組に全く興味が無くなりました。
以前の私ならば、録画をしてでもその番組を見ていました。
AIRで、それをつまみに飲んでいました。

病気になった今は、
「どうせ食べられないんだから」とか、「どうせ飲めないんだから」と、
諦めに似た感情のほうが先に立つようになってしまっています。

私にとっての飲食は、服薬のようなものです。
肝臓に良いとされる、良質のタンパク質を摂取カロリーを考慮して腹八分に。
例えば、豆腐、魚、鶏肉、ビタミンKが多い納豆や緑茶、etc
アルコール類は当然ですが、その他にも揚げ物や脂っこいもの、塩辛いもの、
鉄分が多く含まれるもの、サプリメントの類は口にしません。
麺類も、スープは勿論のこと麺自体にも塩分が多く含まれているので食べません。
そうなると外食が出来ません。コンビニ弁当もご法度。

そのように私は、自分の中にマイルールを作って欲求を押し殺すようにしています。
それを続けていると、「我慢」から「飲みたくない」「食べたくない」に変化して行きます。
挙句の果てには、酒や揚げ物を敵視するようになってしまいました。
特に「酒は汚物」とさえ思うようになりました。
ここまで来ると、「異常」です。
妻からは「ちょっとそれはやり過ぎだよ」と言われましたが、
私は一度決めたことを曲げるのが嫌いな性格なので、
妻の言葉を無視してマイルールに従いストイックに日々生活しています。
ちなみに欧州のほうでは、酒は麻薬や覚せい剤より依存度が高く、
身体に及ぼす悪影響もダントツで、危険薬物とされているようです。
美味しそうに飲んでいる酒のテレビCMも、店の外での飲酒も、日本だけみたいです。
冠婚葬祭を始めとして、人が寄れば酒が付きもの、
古くからの酒文化が定着しているわが国では当たり前のことが、
諸外国の人たちから見たらアブノーマルなんでしょうね。

飲食の他にも、スケジュール通りに物事が運ばないとイラつきます。
起床時間から始まり、毎朝のルーティーンをこなし家を出る時間、就寝時間など、
それが少しズレてしまうと、睡眠時間や休憩時間、食事の時間を削って調整します。
私は1つの物事に対して、集中すると突っ走ってしまうクセがあります。
「アルコール依存症にはありがちな性格ですね」と医師からも言われます。

酒も、睡魔に襲われるまでとことん飲みました。
空いた時間が出来ると、ヒマを恐れるがごとく飲み続けました。
その結果、死ぬまで治らない病気にかかってしまったわけです。
最近は、何事にも余裕のあるスケジュールを組み、適度の休憩を取り、
空白の時間をつくるようにしています。

これからも、やり過ぎず、何にでも腹八分を心がけて、
頑張らないようにガンバリます。

つづく。








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妻と断酒会

近々の話ですが、
コロナの煽りを受け5月6日まで大型連休になってしまいました。
ただただ終息を願うばかりです。
みなさん、不要不急の外出は勿論、飲みの自粛の徹底を頑張りましょう。

精神病院に入院してから3年が経過しました。
これまで大きなスリップも無く、順調に断酒を継続しております。
これもひとえに、家族の、特に妻のおかげがあってこそだと思っています。
妻は入院中、毎日のように面会に来てくれました。
入院前から、いろんなところに出向いて、この病気について相談をしに行ってくれました。
書籍やネットでも、調べてくれました。断酒会やAAにも足を運んでくれました。
家中の、酒に関するもの全てを捨ててくれました。家中の酒、料理酒まで捨ててくれました。
現在はいけない状態が続いていますが、毎週2回から3回の例会にも同行してくれます。
妻が居なければ、私の断酒は続いていたかわかりません。
  
私は、例会に妻と一緒の車で出席しています。車の中でいろんなことを喋ります。
生活のこと、子供たちのこと、仕事のこと、病気のこと。
車の中で喋ったことが、例会の発表のネタになったりします。
  
道すがら、「そこのドラッグストアで酒を買ったことがある」とか、
「この道には、酒を売ってる自動販売機が2ヶ所あるんだよ」とか、
「深夜、早朝に、そこのコンビニに酒を買いに来たことある」とか、
悪いことをしていたころの自分の化けの皮が剥がされていきます。
  
例会には家族といっしょに来るのが良いと思います。
酒歴発表の時、喋りたくない話もありますが、全て妻に話されてしまいます。
「おい、そこまで喋らなくても良いじゃないか」ということが、たまにあります。
格好をつけるつもりはありませんが、人には聞かれたくないこともあります。
でも、全てを喋られることによって、真実があからさまになります。
確かに、格好をつけた酒害発表など誰も聞きたくありません。
例会の場だけで秘密は守られるのだから、それでいいじゃないかと思うようにしています。
妻と一緒に例会に出席するようになって、病気になる以前より、
妻との距離が縮まり、関係性も良くなったような気がします。
  
子供たちとの距離も少しずつではありますが縮まっているような気がします。
面倒もろくに見ず、いつも酔っ払っているおとうちゃんしか見せていなかったので、
信頼を回復させるには、かなり時間がかかると思います。
今は、子供たちとのメールやLINE、会話も増えました。
今までしてやれなかったことが、徐々にできるようになってきました。
病気になるまでの私は、家には寄り付かず、子供たちとの接触を避けていました。
子供たちのことは全て妻に任せて逃げていました。
でもこれからは、時間をかけて逃していたものを取り返すべく、
家族に奉仕したいと思っています。
何が出来るかは一言では語れませんが、
ひとつひとつ、酒によって空いた穴をふさいで行こうと思います。

つづく。









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信用の回復

現在はいろんな依存症があると聞きます。
アルコール依存症は勿論のこと、コロナで再認識されたギャンブル依存、
薬物依存、買い物依存、スマホ依存、性依存など、
数え始めたらキリがありません。
断酒会やAAなどの自助会のことを、グループ依存とか仲間依存とか言う人も居ます。
そう言われないようにするためにも、
私は書籍やネットでもアルコール依存症や肝臓病について知識を身に付けるように、
独学も欠かさないようにしています。
酒害者である自分本人から見た目のほかにも、
配偶者から見た目、家族から見た目、他人から見た目についても、
気をつけるように勉強しています。
  
アルコール依存症は、ただ単体でなる場合もありますが、
他の精神疾患と併発する場合もあると聞きます。
私も連続飲酒で1日5合飲んでいたとき、仕事に行き詰まりを感じていました。
毎日モヤモヤを抱えていました。
そのモヤモヤから逃げ出せるのが酒でした。
酒で現実逃避していました。
そのころ精神病院に診察に行っていたなら、
アルコール依存症のほかにも、違った診察結果も出てきていたのかもしれません
たぶん鬱を併発していたのだと考えられます。
  
飲んでる時は、自分は隠していたつもりでしたが、
冷静に考えられる今「周りには気づかれていたんだろうなあ」と思います。
実際にバレていました。
周りの人も、私にいつ言い出そうか迷っていたそうです。

今後、周りからの信用の回復も時間が掛かると思います。
酒で信用を失うのに時間は掛かりません。
一度失った信用は、死ぬまで取り戻せないかもしれません。
死んでも、笑い話にされるかもしれません。
私はそれだけとんでもない病気になってしまったのです。
いくら悔やんでも悔やみきれません。
  
飲んでいたころ、「俺は病気になるまでは酒はやめないよ」と言っていました。
今、現に病気になってしまいました。
ですから、約束どおり酒は止めました、もう絶対に飲みません。
これからも一生断酒で頑張ります。


つづく。







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飲酒運転常習者

小学校のPTAをしていたころの話です。(季節外れスマソ)
朝6時から花火が鳴りました。運動会の花火でした。
運動会で思い出されるのは、以前まで許されていた飲酒が禁止になり、
お父さんたちは様々な工夫を凝らし、影で飲酒していたことを思い出します。
体育館の裏でコッソリビールを飲む人、
ペットボトルのウーロン茶に焼酎を混ぜてくる人、
水筒にウーロンハイを作ってくる人、
水筒に缶チュウハイを入れてくる人。
「オレの水筒のほうが濃い」とか、「オレの水筒は麦焼酎だ」とか、
お父さん同士で回し飲みをして楽しんでいたことを思い出します。
父兄参加のつなひきは午後に行われるので、とても酒臭かったです。

最近はコロナ騒ぎで酒の出る会合や行事が無いし、
飲む人の絶対数も少なくなってきています。
私は病気なので当然飲む気は無いし、周りからも飲酒の心配をされているので飲みません。
もし飲む席に出る機会が不意にあったとしても、
ノンアルコールビールとウーロン茶で乗り切る自信があります。
最近は、車でくる人や飲まない人も増えたので、
どんなところにもノンアルコールビールとウーロン茶はありますので安心できます。
しかし、しらふで酔っ払いの相手をするのは辛いです。
昔は私もこんな感じで酔っ払っていたんだなと懐かしくさえ思います。
以前は、会合と言えば、日本酒とビールしかなかったので、
そのころアルコール依存症になった人で、もう飲まないと決めた人は、
誘惑に負けないようにするのが、大変だったろうなと思ってしまいます。

私は断酒継続中ですので、正常な目で飲む人のことを見ることができます。
例会の帰り道、だいたい21時から22時なので、以前の私なら居酒屋から帰る時間です。
たまに30キロくらいで道を蛇行しながら走っている車を見かけます。
酷い車は、センターラインから飛び出し対向車線を走る車や、
しまいには、道の真ん中で止まってしまう車も見ました。
まだまだ飲酒運転は根絶されていないようです。
そして、居酒屋の駐車場に何台も停まっている車を見ます。
あの人たちはどうやって帰るんだろうなと思ってしまいます。
居酒屋で全員がノンアルコールビールを飲んでるわけではないだろうし、
この中の何台かは運転して帰っちゃうんだろうなと妻と話しながら家に帰ります。

私も道交法がきつくなる前は、いつも飲酒運転で帰っていました。
「あの道とあの道は飲酒検問をやってるぞ」と酔っ払いたちに教えてもらいます。
店に入ってきた客が、「今あそこでやってたからすぐ帰らない方が良いよ」と教えてくれます。
帰るときには、いろんな情報を得て、細心の注意を払って飲酒運転で帰っていました。
幸いにして、私は飲酒で捕まったことはありません。そんな時代でした。
これだけ道交法がきつくなっても、飲んで運転してかえってしまう人は、
多少なりともアルコール依存症に片足突っ込んでいるんだろうと思います。
悪知恵を働かせて飲酒運転で帰っていた私も、
20代のころからアルコール依存症だったのかもしれません。

つづく。









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飲酒多い土地柄

一緒に精神病院に入院していた人たちは今ごろどうしているんでしょう。
病院でも自助グループでも全然顔を見かけません。
我慢して断酒を続けていてくれば良いのですが、
もしかすると以前のように飲み始めてしまっているかもしれません。
再入院している人も居るかもしれません。
亡くなってしまった人も居るかもしれません。
「俺はアルコール依存症なんかじゃない」と言っていたおじさんは今ごろどうしているでしょう。
「退院しても節酒はするが断酒はしない」と言っていた人もどうしているでしょう。

私は身体に異変が起きなければ、「ちょっと飲みすぎだな」程度で、
その後も酒を飲み続けていたことでしょう。
近所でも、酒が好きなおじさんで済んでいたことでしょう。
入院したことによって、アルコール依存症という病気があることを知り、
肝臓がボロボロになっていることを知ってしまいました。
私の周囲にもそれがバレました。

精神病院に5カ月間入院し、退院してからはこの病気の治療に専念することのみ考えています。
一度決めたことです。
今後一切、死ぬまで酒は一生飲みません。
簡単なことです。
飲まなければ良いだけの話です。
肝硬変もあるので、私の場合は飲むと死んでしまうのですから。

体調の管理、節制のことで家族や周りにも迷惑をかけることが多くなると思います。
入院前も退院後も、家族に特に妻には迷惑をかけっぱなしです。
何でも良いからとにかく妻に対して罪滅ぼしをしたいです。

私の住む地域は、人口密度に反比例して異常飲酒者が多い土地柄です。
冠婚葬祭をはじめ、地域の各種会合、飲み仲間などが非常に多いです。
現在に過去に、自助グループの会員数も多い地域です。
どんな集まりにでも酒が付いてきます。しかも大量に付いてきます。
依存症予備軍は、私が知っているだけでも10人以上は居ます。
老齢の人から若い人まで、特に若い人は私の在籍していた消防団に多いです。
最近こそ若い人たちに飲酒者が少なくなったとは言え、根っからの酒好きは隠せません。

私のように連続飲酒になって肝硬変になるまでの人は居るかどうかわかりませんが、
あの飲み方を見ていると、どう見てもアルコール依存症だなという人が多々います。
こんど、馬鹿な飲み方をしている人を見たら注意してみようと思います。

「オレみたいになるなよ」と。

つづく。







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ヒマを無くす

以前にも書きましたが、コロナ大流行で不本意にも家に居る時間が増えてしまった今、
アルコール依存症者が一番気を付けなければならないのが「家飲み」です。
コロナ流行から仕事が甘くなり減給、離職を余儀なくされたり、
家族のこと、今後の生活など、不安に耐えられなくなることもあろうかと思われます。
しかしそこで酒に逃げてはいけません!
取り返しのつかないことになります。
経験者の私が言うのですから間違いありません。

アルコール依存症の私たちは、酒のプロです。
味も香りも酔い方も自分の限界も、すべて知り尽くしています。
しかし、仕事上、家庭上の不安から、再び酒に手を出してしまいそうになってしまいます。
もし再飲酒したら、もう歯止めが効きません。とことんまで飲んでしまいます。
その抑止力として病院や自助グループがありますが、
ウィルス感染の恐れがあるために足を運ぶこともできません。
病院は院内感染の恐れ、自助グループのミーティングは会場閉鎖のために当分の間中止。
気晴らしに外出すらできません。

デスクワークの時は仕事に没頭できるのですが、
外回りが出来ない現在、ポツンと穴が開いたようにヒマな時間が出来てしまうと、
いつものように不安に駆られて良からぬことを考えがちです。

そこで私は考えました。
家の裏庭で家庭菜園をやろう!
以前にも経験があるので道具は揃っています。
そうと決まれば即実行。
何にでものめり込みやすいアル中体質の私は、がむしゃらに土と戯れました。

現在は土を耕し雑草を取り除き、苦土石灰撹拌して2週間放置の最中です。
夏野菜なので失敗無く比較的に簡単に出来ます。
もし実らなくても出費は少ないので、それはそれで良いと思っています。

ヒマな時間を極力無くし、スケジュールを埋める作業をするだけで、
酒のことを考えなくてもよくなります。
起床就寝時間、3度の食事、適度な運動など、節度ある生活をスケジューリングすれば、
不安や酒の誘惑からも回避できます。

精神病院を退院した時から始めた「オレ流の断酒日記」なるものも、いまだに継続中です。
このブログも、書き貯めた日記を読み返しながら、その時の心境に戻って書き進めています。
ですから、話が多少前後することもありますがご容赦ください。

「ヒマな時間を無くすこと」 これが今後の断酒継続に繋がると思います。

つづく。








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ギャンブル中毒?

コロナ禍のド真ん中、パチ屋の話題が毎日飛び交ってますね。
私は過去に多少かじっていたので、ギャンブル中毒やパチ屋の裏の顔が分かります。

今回は今から20年ほど前、私がパチンコ屋に通っていたころの話をします。
私はスロット専門でしたが、通っていたと言うより稼ぎに行っていました。
パチンコ屋には仕事帰りや外回りの合間に行っていました。
私の打ち方は、その機種を深くまで勉強し、その店の出し方を研究し、
その店と台のクセを見抜き、イベントチェックも欠かしませんでした。
トイレを借りるだけで、店の動向を見て情報を収集し、
打たずに帰ることのほうが多かったと思います。
土日祭日と5、10日は打ちませんでした。
ネットを駆使して情報網も確立していました。
現在のようにスマホが無かった時代でしたので、情報拡散もありませんでした。
そのようにして打つ店打つ日をインプットし、打つ機種も決まっていました。
打つ機種とその打ち方を徹底的に勉強し、
確実に「打てるっ!」と確信できる時にだけ打ちました。
そのような機種を「技術介入機」と言って、知識と技術で立ち回っていました。
私が通っていた期間は5年ほどでしたが、
年間収支は常に○○万のプラスでした。プラス3桁の年もありました。
そんな時代も長くは続かず、潮時を感じて私はスロットからスパッ!と足を洗いました。
勝った金で温泉に家族旅行もしたことがあります。
車検代も旅行積立も飲み代もスロット貯金から捻出していました。
「自分はギャンブル中毒なのかもしれない」と思ったころもありました。
でも、私のスロットはギャンブルではなくサブワークとしてであって、
年間収支は安定していたので、止め時も簡単でした。
  
今度は、酒をやめる番です。
酒はスロットのようにたやすくやめられるものでは有りません。
何せ、100円出せば冷たい缶チューハイが買えてしまいます。
昔のように酒店に行かなくてもコンビニでもドラッグでもどこでも酒を売っています。
簡単に元のように戻ってしまうことが出来ます。
自制心が要求されます。

私は、居酒屋に行かないために財布の中には千円札1枚しか入れません。
弁当と水筒を持ち歩き、現金を使わないようにしています。
生活費必需品は妻に買ってきてもらいます。
ケチなのかもしれませんが、日ごろから散財しなければ、
酒を買う金がバカらしく思えてきます。

命がかかっていると思えば酒を止めることは可能だと思います。

これからも、私はケチであり続けようと思っています。

つづく。








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病気を隠さない

コロナにやられました。
GW近辺は繁忙期のはずなのに、今年は工場が回らず開店休業です。。。


私はアルコール依存症です。アルコール性肝硬変です。
なるべく酒の匂いのする場所には、近づかないように努力しています。
私は自分への戒めのために、信用できる人には病気を公表することにしています。
  
以前は何か行事があったときには、必ず慰労会がありました。
私も率先してそれに出席していました。
最近は周りも私の病気のことを知っていて、あまり誘って来ないでいてくれます。
私は周りに「病気だからもう一生飲まないよ」と言ってあります。
でも何人かの人は「ななさんが飲まないんじゃあ面白くない」とか
「ノンアルコールビールを用意して待ってるよ」とか言ってくれます。
気持ちは嬉しいのですが、何が楽しくて、飲めない、酔えない飲み会に行くでしょう。
  
先日、仕事の関係上出席しなければならない会合があったのですが、
会費5000円も払ったのに塩分制限、脂質制限の為に、刺身3切れしか食べられませんでした。
ノンアルコールビールとウーロン茶で満腹にして帰りました。
  
酒の飲みすぎでアルコール依存症にかかってしまったのは私のせいです。
それが高じて肝硬変にかかってしまったのも私のせいです。そして反省もしています。
これからもいろんな場面にぶち当たることになるでしょうが上手に回避していきます。
  
夕方コンビニに行くと缶ビールや缶チューハイを手に取る人が多いです。
私はそれを横目に85円の炭酸水を買います。
ドラッグストアでも缶ビールの箱買いの人が多いです。
でも私は断酒をすると心に決めた以上、酒には手を出しません。
飲みたいとも思いません。
  
後輩達に、「俺はもう酒を2年以上飲んでないんだよ」と自慢すると、
「ななさんは飲んじゃダメですよ」と言われました。
寄り合いで居酒屋に行っても、隣席に知り合いがいて、
「おまえは飲むなよ」と言われました。
私が断酒していることと、私の病気のことを知っていてくれている人も増えました。
変な気を使わず、いろんなお誘いもキャンセルしやすくなりました。
断酒に関しては、いろんなことがとてもやりやすくなっています。
  
世間体や仕事上の昇進の関係などで、アルコール依存症や肝臓疾患のことを、
周囲に切り出せない方も多くいらっしゃるのではないかと思います。
私は、精神病院退院後は1からの再スタートと決意し、
病気のことを隠蔽しないようにしています。
隠れ酒をしないように、自分を自分で見張っています。

またあの地獄のような日々に帰りたくありませんから。

つづく。








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