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第二の否認のその先

第一の否認は、「自分がアルコール依存症であることを認めない」という否認であり、
第二の否認は、「自分は酒さえ飲まなければ、何の問題もない」という、
自分の責任を酒に押し付けてしまう否認である。

このブログでも述べている第二の否認とは、「飲酒を止めれば全て上手くいく」、
「飲酒をしなければ何をしてもいい、飲酒をしなければ全てのことは許される」という否認だ。
諸悪の根元は酒であり、 その酒を断ったので一件落着…そう思いたいのだ。
第二の否認から脱却出来なければ、飲酒時代と変わらない思考や行動パターンを繰り返す。
心は不安定なのに酒は飲めず、我慢の断酒を強いられるといった苦しくまた危うい状態だ。
「認める」とは、依存症になるまで飲まなければ生きて来られなかった…
この事実を認めることなのである。

また、断酒は継続しているけれど、
飲酒していた時と同じ感情や行動パターンが生じることがあって、
それを酔わない酔っぱらい(ドライドランカー)とも呼ぶ。
そのようなことが少なからずあるということも肝に命じておきたい。

過去を振り返ると、俺にとっての否認は上に挙げた定義とは少しずれているような気がする。
実際、俺の酒好きは周知の事実で、「病気になったら酒やめるよ」と言っていたし、
手が震えるようになってからは、「たぶん俺はアル中なんだろうな」と気づいていた。
ただ、ヤバいと気づいていながらも隠れて飲み続けていた。
底つきを経験し精神病院に入院してからは、飲酒欲求は一切起こらなかった。
だが、「飲みたくなったらどうしよう」という不安は常に感じていた。

第二の否認の、「飲酒をしなければOK!」という感情は無く、
「俺は間違っていた、断酒をして早く元の社会に戻りたい」と言う気持ちのほうが先行した。
なので、型にはまった「第一の否認」、「第二の否認」については、
いまいちピンと来ないというのが本当のところだ。

健康体のアル中ならば、そういった飲酒欲求も起こるのかもしれないが、
俺の場合は、肝硬変と肝細胞ガンがあるので、
【飲んだら死ぬ】といった恐怖心から、飲酒欲求が起きないだけなのかもしれない。
だから尚更、「残された命を有効に生きよう」と、生き急いでいるのかもしれない。

昔から「余った時間がもったいない」という性格ではあったが、
断酒を始めた5年前からは、以前にもましてスケジュール表を真っ黒に埋めようとして、
その行為に生きがいを得ようと焦っている自分がいる。

実はこれが、最もアルコール依存症になりやすい性格でもあるのだが。


つづく。


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