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7回目退院記念日

今日は7回目の精神科病院退院記念日、
この日は毎年入院中にもらった家族からの手紙や過去のカレンダーや日記を読み返し、
ダメダメだった自分を振り返り、反省し、二度と同じ過ちを起こさないと再確認する日だ。

当時の俺は様々な悩みや不安に押しつぶされそうになり、大好きだった酒に逃げた。
来る日も来る日もひとり内に籠って酒をあおり、俺の身体はボロボロだった。
7年前の4月、突然の嘔吐下血で立ち上がれなくなり精神科病院に強制搬送された。
それから5か月間の長い入院生活は始まった。
入院から2日間は点滴を打ちながら生死の狭間をさ迷った。
落ち着きを取り戻してからは、常に周りからの目を気にしていた生活から一変、
3度の食事と薬の時間、排尿排便の回数を数えるだけの日々、
仕事もせず、身の回りのこともせず、楽チンではあったが、
徐々に「俺はこのまま終わってしまうのか?」と不安になっていった。

入院当初は、夢と現実の狭間をさまよいながら「なんでここにいるの?」って感じだった。
面会に来てくれた妻や姉に対して「どちら様ですか?」とか「面会お疲れ様です」と言ったり、
前日に見た夢の内容を現実のことのように話している俺を見て、
妻は、「この人、このまま戻って来ないかも?」と思ったそうだ。姉は泣いていた。

ようやくアルコールも抜けて脳も元通りになって来て、
夢と現実の狭間から抜け出すことができ、
院内講習のテキストの内容も理解できるようになり、
院外研修で自分の足で歩いたり、公共交通機関に乗ったり、
AAや断酒会のミーティングや例会にも出席して発言できるようになった。
退院間際には、早く退院したくて仕方なかった。
早く家族に会いたい、早く仕事がしたい、
気ばかりが焦っていた。

待ちに待った退院前日の院内例会には、
子供たちからの手紙を持参した妻と姉も来てくれた。
俺は1年に1度、この手紙を読み返すようにしている。
長女「私たちに力になれることがあったら頼ってね」
次女「もう病院に戻ってほしくないからお酒は我慢して」
長男「俺も勉強と部活を頑張るから、おとうちゃんも頑張ろう」

院内例会の最後に、俺の病院への感謝の言葉を聞きながら、妻も姉も泣いていた。
俺もつられて泣いてしまった。
妻や子供たちからの手紙を見るたびに目頭が熱くなる。
誕生日や他の記念日は忘れても、9月19日の退院記念日は絶対に忘れてはならない。

アルコール依存症と同時に重度の肝硬変にもなった。
その3年後には肝細胞がんにもなった。
全ては「酒」の飲み過ぎによる不摂生がそもそも諸悪の根源だ。
だからと言って、「アルコール依存症だから」と、病気のせいにして逃げてはいけない。


つづく。


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