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合法的な危険薬物

最近なんだか老若男女を問わず、それに国籍を問わず、
飲酒運転による事故のニュースが多くなったような気がする。

俺も若いことは仕事帰りに車通勤にもかかわらず、喉の渇きと酔っぱらった時の高揚感、
酒の誘惑に負け居酒屋ののれんをくぐった経験が少なからずあった。
店を出た後も車中で2時間ほどの仮眠を取り、当然体内にはアルコールが残っているのだが、
「もう酒は抜けた」と自分に言い聞かせ、飲酒運転をしてしまった。
しかし、飲酒運転に対する罰則が厳しくなったころからは、
夜に店で飲む機会があった時には車の運転はしなくなっていた。
仕事と家庭を犠牲にしてまで外飲みはしたくなかった。
しかし、アルコール依存症末期のころにはそれさえも守れないでいた。
現在の飲酒運転に対する罰則も厳しいが、やはりもっと厳罰化しなければ、
交通法規違反は防げないのではないだろうか。

子供のころ、泥遊びをして真っ黒になったり
服を着たまま川に飛び込んでビショビショになったり、
高校生のころ、大人のまねをしたくて未成年の飲酒喫煙をしてみたり、
悪いとわかっていても好奇心や何らかの誘惑に負け、それらを試してみたかった。
しかし年齢を重ねるにつれ、当たり障りなく品行方正であることがベターなのだと感じて来た。

品行方正とは「心や行いが正しく立派なさま」ということだが、正しい心や立派な行いが立派だと、
「ホントにこれで良いのだろうか?」と悩んでしまうこともある。
その悩みとは一言で表現すると、「自分の自由にできる領域が狭い」ということ。
苦しいし居場所がないし、ありのままの自分自身じゃないから幸せも感じない。
品行方正にしようと自分を律すると、それだけ領域が狭まって息苦しく感じるし、
自分自身ではなくなるため満たされなくなってくる。
そして、品行方正じゃない相手に対してイライラし始める。
一瞬の「ちゃんとした人に思われてよかった」という満足感、
その一瞬が過ぎてしまったら、今度はさらに他人からの評価を求め、
さらに自分を律して次の「一瞬」を取りに行くために多大な量力を消費する。

しかし、人の道を外れてまでの自分の欲求を満たす行為は決して許されるものではない。
ストレスを感じ、貯まったうっ憤の発散の仕方、発散する時間や場所、
一人の大人ならばそれらをわきまえて行動できるはずだ。

酒は人間の脳を麻痺させることができる危険薬物である。
だが、間違った行動を酒のせいにしてはならない。
酒の飲み方を間違えた自分を責めねばならない。
美味しく楽しく酒を飲みたい人は、酒は合法的な危険薬物であるということを念頭に置き、
酒と付き合っていかなければならない。


つづく。


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