ちっぽけな自分
非公認候補は崖っぷちなのか?
公認は世論の理解を得られないと党本部に判断された非公認の面々、
無所属だと公認候補に比べて選挙活動が制約され、当選の道も狭くなる。
政党の後ろ盾がないと、選挙戦の何が変わるのか。
政党の公認候補の多くは、小選挙区に出馬すると同時に比例代表にも立候補している。
小選挙区と比例代表の両方に出るため小選挙区で負けたとしても、
しれ~っと比例復活で、撃たれても倒れないゾンビ議員になる。
一方、今回裏金事件で公認を得られない無所属候補者はゾンビ化できずヤバいだろう。
そのほかにも、ビラ枚数は非公認で4割減、
選挙ポスターの掲示は、自治体が設置する公営の掲示板だけに制限されるのに対し、
政党・政治団体は個人宅や商店といった建築物にも許可を得て張ることができる。
また、選挙カーについて候補者個人は1台までとなっているが、
政党・政治団体は各都道府県内に擁立した候補者数に応じて使用が認められる選挙カーが増えるため、
公認候補になれば使える選挙カーの数も変わってくる。
さらに如実に差が出るのが、政策を訴える場となる政見放送。
これは政党・政治団体にのみ認められており、テレビで放送できる。
公認候補ならこの映像に登場したり、詳しい紹介してもらったりすることが可能だが、
無所属の候補は氏名や年齢、経歴のみの放送に限られる。
非公認になると公認料がもらえず、供託金は自分で用意しないといけない。
自分が体制側に属していた時にはその制度に甘んじていたのだから、因果応報とも言える。
俺はむかし6年ほど建設会社の社員で現場監督だったことがある。
親父の、「おまえ、そろそろ帰って来ないか?」の言葉に、
やっと仕事にも慣れ、面白くなってきたころだったが、
その会社を泣く泣く退社して実家の事業を手伝うことになった。
幼少期のころから家業を継ぐよう半ばマインドコントロールされていた俺は、
「数年で良いから外で勉強させてくれ」と懇願して建設会社に入社したので、
親父の要求に答えないわけにはいかなかった。
家に戻って来たのもつかの間、半年で親父が脳梗塞倒れ、そのまま15年間入院したままとなった。
帰って来たばかりの俺は、見習い中にも関わらす急きょ社長業もこなさなければならなくなった。
お世話になった建設会社の下請け会にも入れてもらい、現場に出入りするようにもなった。
仲良くしてもらっていた職人さんたちには「元気でやってるか?」と声をかけてもらったが、
下請け会社の社長さんたちからは、「おまえはもう監督じゃないんだから」という目で見られた。
「やっぱりそうなるよな」、会社の看板の大きさとちっぽけな自分を痛感した。
所詮俺は、他人のふんどしで相撲を取っていたひとつの駒に過ぎなかったわけだ。
それからは元現場監督であることを隠し、下請けの仲間に入れてもらおうと努力した。
社員時代に会社の看板で得た人脈も貴重な財産だとは思うが、
退社後に違う立場になっても、少しでも自分自身が成長して、
「あの人知ってるよ」と言われるような人になる努力をしたい。
つづく。
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公認は世論の理解を得られないと党本部に判断された非公認の面々、
無所属だと公認候補に比べて選挙活動が制約され、当選の道も狭くなる。
政党の後ろ盾がないと、選挙戦の何が変わるのか。
政党の公認候補の多くは、小選挙区に出馬すると同時に比例代表にも立候補している。
小選挙区と比例代表の両方に出るため小選挙区で負けたとしても、
しれ~っと比例復活で、撃たれても倒れないゾンビ議員になる。
一方、今回裏金事件で公認を得られない無所属候補者はゾンビ化できずヤバいだろう。
そのほかにも、ビラ枚数は非公認で4割減、
選挙ポスターの掲示は、自治体が設置する公営の掲示板だけに制限されるのに対し、
政党・政治団体は個人宅や商店といった建築物にも許可を得て張ることができる。
また、選挙カーについて候補者個人は1台までとなっているが、
政党・政治団体は各都道府県内に擁立した候補者数に応じて使用が認められる選挙カーが増えるため、
公認候補になれば使える選挙カーの数も変わってくる。
さらに如実に差が出るのが、政策を訴える場となる政見放送。
これは政党・政治団体にのみ認められており、テレビで放送できる。
公認候補ならこの映像に登場したり、詳しい紹介してもらったりすることが可能だが、
無所属の候補は氏名や年齢、経歴のみの放送に限られる。
非公認になると公認料がもらえず、供託金は自分で用意しないといけない。
自分が体制側に属していた時にはその制度に甘んじていたのだから、因果応報とも言える。
俺はむかし6年ほど建設会社の社員で現場監督だったことがある。
親父の、「おまえ、そろそろ帰って来ないか?」の言葉に、
やっと仕事にも慣れ、面白くなってきたころだったが、
その会社を泣く泣く退社して実家の事業を手伝うことになった。
幼少期のころから家業を継ぐよう半ばマインドコントロールされていた俺は、
「数年で良いから外で勉強させてくれ」と懇願して建設会社に入社したので、
親父の要求に答えないわけにはいかなかった。
家に戻って来たのもつかの間、半年で親父が脳梗塞倒れ、そのまま15年間入院したままとなった。
帰って来たばかりの俺は、見習い中にも関わらす急きょ社長業もこなさなければならなくなった。
お世話になった建設会社の下請け会にも入れてもらい、現場に出入りするようにもなった。
仲良くしてもらっていた職人さんたちには「元気でやってるか?」と声をかけてもらったが、
下請け会社の社長さんたちからは、「おまえはもう監督じゃないんだから」という目で見られた。
「やっぱりそうなるよな」、会社の看板の大きさとちっぽけな自分を痛感した。
所詮俺は、他人のふんどしで相撲を取っていたひとつの駒に過ぎなかったわけだ。
それからは元現場監督であることを隠し、下請けの仲間に入れてもらおうと努力した。
社員時代に会社の看板で得た人脈も貴重な財産だとは思うが、
退社後に違う立場になっても、少しでも自分自身が成長して、
「あの人知ってるよ」と言われるような人になる努力をしたい。
つづく。
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