SSブログ

今夜の体験談台本

今夜、俺が入院していた精神病院の入院患者の皆さんも参加する例会がある。
俺も入院時には院外研修としてその例会に出席していた。
家族会役員の妻は、冊子を配る都合があるのでその例会に出席すると言う。
その例会場にはコロナの期間中1度も足を運んでいない。
4年も間が空いてしまったので、久しぶりに見る顔も多いだろう。
俺も7回目の入院記念日をむかえ、ダメダメだった体験談を発表して来ようと思っている。
余分なことを言わないよう、この時間を使って簡潔に発言内容をまとめようと思う。
7年間書き続けた日記の内容を繋ぎ合わせるだけの作業、簡単だ。

今夜の体験談台本(ちょっと長め) ↓
皆さんこんばんは、〇〇支部の□□です。
私はもともと酒は大好物でした。酒を断ってから7年が経過します。
私は7年前の春に〇〇病院に入院しました、入院したのが4月14日だったので、
〇〇病院の人たちも来られると言うことで、入院記念に最近サボりがちな例会回りをしています。
〇〇病院退院後から現在まで、不思議なことに飲酒欲求が殆ど起きたことがありません。
その理由としては、アルコール依存症から重度の肝硬変になり、
強制入院となった時、死ぬ一歩手前であったことが挙げられます。
3年前には肝細胞癌で切除手術もしたのでもう飲めません。飲んだら死にます。
〇〇病院入院中も、近くの△△医療センターに肝硬変治療のために通院していました。

アルコール依存症発症までの道のりは皆さんとだいたい同じと思うので長くは語りません。
主に仕事上の悩みから鬱のような症状になり、朝、昼、晩、深夜と、連続飲酒になりました。
ある日、いつものように早朝から赤ワインを飲んでいると、突然猛烈な吐き気が。
窓から首を出して嘔吐。赤ワインを飲んでいたので赤黒い液体が勢いよく噴射されました。
ひとしきり吐いてようやく落ち着いたころに第二波、第三波が。
嘔吐する液体がだんだん真っ赤になっていったのを覚えています。
そして次に便意に襲われました。
トイレに着くや否や、ズボンを下ろすと同時に下からも噴射。
便器に座りながら嘔吐(吐血)と、下痢(下血)を繰り返しました。
真っ赤になった便器を掃除し、失敗したパンツを窓から放り投げ、
いざ立ち上がろうとしますが足腰に力が入りません。
ほふく前進のように這いながらトイレから出たところで力尽き妻に助けを求めました。
その時の出来事は、断片的にしか記憶に無く、
後から聞かされた話に、妻に血まみれの尻を拭いてもらい、
妻からの連絡で駆けつけて来てくれた、近くに住む姉の車で病院に搬送されました。

ようやく病院(精神病院)に到着。そして訳も分からず即入院。
手続きをするときにも、離脱症状で手が震えて自分の名前すら書くことが出来ませんでした。
院長とそのご担当医となる〇〇先生は、
「何でこんな死にぞこないを連れて来たんだ」というような顔をしていたそうです。
そして車いすに乗せられて着いた場所は、鉄格子で囲まれ施錠された便器1つしかない保護室。
そこで私は倒れこむようにせんべい布団の上で点滴されながら眠りにつきました。
そのとき家族は「72時間以内に変化があれば命に関ることになるかもしれない」
と医師から言われていたそうです。
そうして、私とアルコール依存症との闘いの日々は始まりました。

アルコール依存症が精神疾患だということを入院して初めて知りました。
そして自分のいる場所が精神病院だということにも気付いていませんでした。
鉄格子の檻の中に居ることにも何の違和感を感じませんでした。
点滴に繋がれ、3食の食事と檻の中にある便器で排泄の繰り返し。
芯を抜いた使いかけのトイレットペーパーは自殺防止だったのでしょうか?
入院から11日、解毒のための檻から解放され3階の閉鎖病棟に移りました。

閉鎖病棟に移って25日目、何度も閉鎖病棟の中で引っ越しを重ね、
ようやく開放病棟に移ることになりました。
閉鎖病棟での入院生活とはリズムがガラリと変わりパニックを起こし、
研修中に大声を出して暴れ出し、その日のうちに私はまた閉鎖病棟に返却されました。

閉鎖病棟へ返却されてから28日目、ふたたび開放病棟に移動することとなりました。
開放病棟に移り、1週間のインターバル期間を終え、いざ断酒プログラム開始!
と思ったのもつかの間、私は原因不明の高熱に襲われました。
熱が下がってから看護師に聞かされたのですが、
ピーク時には体温が42.5度もあったそうで、転院の話も出ていたそうです。
その後、経過観察のため6日間3階の特別室に居たのですが、いや~快適でした。
7日以上特別室に居ると特別室使用量料が発生してしまうため、
無理を言ってまた2階の開放病棟に戻してもらいました。

仕切り直して開放病棟に戻り断酒プログラムの開始です。
ふつうアルコール依存症で入院すると言えばここからスタートなんでしょうね。
そのころには頭もスッキリし、身体も動くようになりつつありました。
SMARPP24の勉強もこのころから始めました。
暇を持て余していたので、朝食から昼食の間、午前中は毎日SMAAPPを読み返し、
どのページに何が書いてあるか把握するほどになりました。
車いすから始まった入院生活だったため、
午後からは病院の中庭を30周するというノルマを課し、
院外研修の時に皆さんに後れを取らないよう足腰を鍛え始めました。
実際、足腰がヘナヘナになっていたので、院外研修時の徒歩や駅の階段は辛かったです。
私はそこまでたどり着くのに2か月以上余計にかかりました。
その後は今の皆さんと同じサイクルで入院生活を送りました。

よく何日目に何をやったかを覚えているなと思われるでしょうが、
私は入院中にあった出来事を大学ノートと卓上カレンダーに書き留めていました。
私はことあるごとに初心を忘れぬようそれらを読み返すようにしています。
ミミズのような文字、訳の分からない文章、SMARPPへの書き込みやアンダーライン、
退院が近付くにつれ文字もしっかりしてきて書くこともつじつまがあってくる様、
退院直前のグループミーティングでの退院発表の文言、家族からの手紙、
これらは7年経った今でも私にとっての大事な宝物となっています。

皆さんもこれから義務外泊を経験するでしょうが、1つだけ注意しておきます。
シャバは誘惑の宝庫です。
義務外泊中、入院前のクセで私はコンビニで缶チューハイを買って飲んでしまいました。
妻に発見されて酔いが回る前に1口飲んだところで捨てられました。
そして義務外泊終了後、妻に病院にチクられ反省文を書きました。
その後の話に、義務外泊中の再飲酒が原因で退院延期の話も出ていたそうです。

そして断酒プログラムを始めて83日目、ついに退院することが出来ました。
保護室から始まった入院生活は、合計で158日でした。
通常のアルコール依存症の入院なら約3ヶ月ですが、
私の場合は断酒プログラムに入るまで、この世の人間に戻るまで、
2カ月かかってしまったので約5ヶ月の入院となってしまいました。
肝硬変のため内科の通院は7年経った今も、そしてこれからもずっと続きます。

私たち夫婦には3人の子供がいます。
末っ子も先月大学を卒業して社会に出ることが出来ました。
今までもそうですが、これからも家族のために、周囲の迷惑をかけた人たちのために、
罪滅ぼしと信頼回復に努めていきたいと思っています。

リハーサル終了、これで行こう。
だいたいこれで8分くらい、ちょうど良い長さだ。


つづく。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アルコール依存症へ
にほんブログ村


アルコール依存症ランキング
アルコール依存症ランキング






















nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。