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依存症への下地づくり 1

私は幼少期から
「大人はお酒を飲んで楽しそうでいいな」
「タバコを吸っている人ってかっこいいな」と思っていました。
どちらも中毒性の高いものだとも知らずに。

私の家は自営業で、毎月末日は職人さんの給料日で飲み会。
集金の下請けさんもその時間を狙ってやってきました。
毎月末は10数名の人が酒を飲んでいました。
手間より酒のほうが高かった時代からの職人さんばかりなので、
いつもその日は大騒ぎでした。
小学生の私も、「ちょっと舐めて見な」と言われ、勧められるがままにペロッっと。
(酒って甘いんだな~、ビールって苦いんだな~)と、そのころから味だけは理解していました。

高校に入るとクリスマス、正月、部活の打ち上げは、
私の部屋で飲めない酒を持ち寄り、宴を開くようになりました。
部活のOB会の宴席にも学ランのまま呼ばれ、OBの家や割烹で飲むようになりました。
今の時代、そんなことをしてたら捕まっちゃいますよね。
そのころは、ただ単に大人の真似がしたくて、
吸えないタバコを吸いながら飲めない酒を飲み、それで満足していました。

一浪してようやく大学に入りましたが、理系だったので遊ぶ間も酒を飲む間もありませんでした。
大学を卒業して社会人になりいろんな集まりに出るようになってからは
酒の味を知り酒の楽しさを知っていきました。
その当時は家で晩酌はしませんでした。もっぱら外飲みでした。
入社したのが建設系で、尚且つバブル期ということもあり、
毎晩のように「夕飯食いに行くぞ~」と上司に言われ、居酒屋からスナックのハシゴでした。
会社に入って3年目のとき、国家資格取得のために1年間だけ禁酒をしました。

社会人となって6年、サラリーマン生活にも慣れ、仕事も楽しくなって来たころ、
突然実家の父が倒れたとの連絡が入り、会社とも家族とも話し合った結果、
後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く会社を退社し家業を継ぐことになりました。
長男が生まれると同時期に住んでいたアパートを引き払い、
妻子と共に実家暮らしがスタートしました。

仕事はまた1からの再出発なので覚えることも多く、田舎なので付き合いも多く、
寝たきりになってしまった父の代役も務めるようになり、
家で夕食を取るのは1週間に1度か2度となりました。

そして、時を同じくして入団したのが「魔の集団」と呼ばれる”消防団”でした。

消防団のころの話は後ほど書くことにします。

つづく。









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