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依存と支配

先日のCTの日、順番待ちの病院の廊下で妻と話した。
妻「最近例会に行っていないけど大丈夫?飲みたくならない?」
俺「例会で酒の話をしたら、思い出して飲みたくなっちゃうかもよ(笑)」
妻「アルコール依存症は完治しない病気なんだから、例会に行きなよ」
俺「行っても良いけど、飲酒欲求も無いし話のネタがないから世間話になっちゃうよ」
妻「いや、出席して過去を振り返ることが大切なんだよ」
俺「過去のことは反省しているけど、前も向かなくちゃ」
 「それに、肝臓がん再発チェックのCTを受けに病院に来ているんだよ」
 「飲みたいなんて思うはずないじゃん」
妻「タバコだって止められていないじゃん」
俺「いや、あれは0ニコチン0タールの電子タバコだよ」

酒もタバコも依存性があるからと、どうしても俺の依存症回復を認めたくないようだ。
もしくは、もっともっと過去の反省をさせるために、例会で喋らせたいのかも。
それに、足繁く通う妻の断酒会例会への出席を肯定させたいのか?
俺に言わせれば、家族会役員の妻は、「断酒会依存症」だ。
↑怒られるから言わないけど。

妻は依存依存と言うが、
人は、常に何かに依存していないと生きていけない動物だと俺は思っている。
それが体や精神、金銭面に影響がないものであるとしても。
「依存」と言うと、アルコールやギャンブル、タバコや覚せい剤、ネットやゲームなど、
依存は疾患、病理だとされ、負のイメージがあると思いがちだが、
むしろ人間の本質的な特徴で、自分ひとりで立つということよりも身近なはずの概念である。
生きていく上では他者に頼らなければならない。
「依存」がなければ他人を信用できなくなるし、人間関係もギクシャクしてしまう。

一方で、「依存」とは自立と反対の意味で、甘えている、未成熟だというイメージも与える。
「依存」という言葉にはマイナスイメージがあるがために、その言葉をタブー視しがちだ。
依存している人と自立している人を分けて、依存している人を自立させるというのではなく、
自立と依存の境界自体をなくしてしまうことはできないか。

「依存」とは、アルコールでも薬物でも、
依存ではなく、それに支配されていることが問題なのだと思う。
俺も精神病院入院直前には、完全に身体と脳が酒に支配されていた。
依存だと、自己コントロールできない、意志の弱い個人の問題となりがちだが、
支配と言った場合、何に支配されているのかという構造の問題を問うことができる。
それは、生きづらさを考えるうえでの助けになるのではないか。
人から「依存」を奪い、弱者化させている「支配」の構造こそが問題なのだと思う。


つづく。


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