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忘れない3.11

3.11はいつまで経っても忘れてはいけません。
10周年とか言っている場合ではない。
苦しんでいる人は毎日、1分1秒苦しんでいる。
思い出さないようにしていても、決して忘れることはできない。
にわかは、キャッチーな謳い文句で簡単に「復興」を語ってはいけないと思う。
補助金が出ても、エセ支援で東京からの出稼ぎ大手企業に持って行かれたり、
オリンピックに名前だけ利用されたりして、
本当の復興にはつながらない場面もしばしば見受けられる。

以前、精神病院にアルコール依存症で入院していた時にも、
福島から移住してきた70歳くらいの人が同室になった。
実家には帰れない、家族や仲間とはバラバラ、
メンタルやられて「酒」に逃げるしかなかったそうだ。
でも、そのおじさんは病院内では至って明るく振舞っていた。
俺は、どう声をかけたら良いのかわからなかった。

うちの周りでは、3.11は震度5強だったと記憶している。
外回りから帰って事務所のドアを開けている時だった。
激しい揺れに、書庫と冷蔵庫を抑えていた。
外を見ると、電柱は踊りを踊っているように揺れ、電線が波打っていた。
廻りの山からは煙のように花粉が飛び、もやがかかったようになっていた。
事務所内はモニターが倒れただけだったが、
林場の材木が倒れ、復旧にはそうとうな時間が掛かった。
子供たちは学校で、机の下に隠れていたそうだ。
生徒より先生のほうがパニクっていたと言っている。

息子の免許取得から2日、彼は「運転したい」と言い出さない。
今と昔の、免許取得と車の運転に対する意識の差を感じた。
35年前、教習所で俺はひとりの教官と敵対関係になってしまい、
その教官の時だけ3回ハンコを押してもらえなかった。
事の発端は、サイドブレーキを引かずに半クラのまま坂道発進したことから。
「オマエ、乗ってるだろう?」
その後、そいつに目を付けられ、
路上教習でも、一時停止を止まった止まらなかったでケンカになり、
私はアクセル、教官はフットブレーキ 同時にやりあってたりした。
(そりゃあハンコ押してもらえないわな)
今になって思えば、大人げなかったと思う。
教官とは、そのときだけの関係と割り切って、
下手に出ていれば、気持ちよくハンコも押してもらえたのに。

おこちゃまでしたね(懐)


昨日も24時間体制で火付け盗賊改め鬼の平蔵たちが居た。
3人のスナイパーに似た警官たちは午後次の3人と交代したみたいだ。
俺は15時前には現場を後にしたのでその後の彼らの行動は分からない。
しかし、ず~っとエンジンをかけたままで居るので、気が散ってしょうがなかった。
 ↑
これを書いたのが昨夜20時
そして、本日13日01時30分防災無線にてサイレン吹鳴
飛び起きた!
火災現場は工事現場から100mくらい
スナイパーたちが待機している場所から目と鼻の先だ。
防災無線では「山林火災」
広域の電話では「建物火災」
メールでは「その他火災」
と言っている。
どの情報がホントなのか?
放火魔からの犯行声明でも出ていたのではないか?
後輩の消防団員たちは消火活動中だから電話できない。
夜が明けたら行ってみようと思う。



つづく。



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