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保護室(檻)

私はアルコール依存症で精神病院に入院する直前に「幻覚」を見たことがあります。
腹の調子を壊して、酒を2日ばかり抜いていたら、
夜、家の前の植え込みに身を隠すようにしゃがんでいる作業着を着たおじさんが座っていました。
私が「おじさん、こんなところに座って居ちゃダメだよ」と言うと、
そのおじさんは5メートルくらい横にまた座り込んでしまいました。
そしてまた私が「だから、こんなところに座って居ちゃダメだって」と強めに言いました。
おじさんはしきりに携帯を手に取りどこかに連絡をとっている様子でした。
家の外で何か叫んでいる私に家族も気付き、妻が外に出てきました。
妻に「どうしたの?」と聞かれ、
私が「いやーこのおじさんが座り込んじゃって出て行かないんだよ」
というと妻は「そんな人どこに居るの?」と返してきました。
私が「ほらっこのおじさんが、」と指を指すとそこには誰も居ません。
その後も懐中電灯を照らしながら家の周りを2人で探し回りましたが、もちろん誰も居ません。
それが始めての幻覚でした。
入院後も、酒が切れた私は夢と現実の狭間を何度もさまようこととなります。

血ヘドを吐き下血をして精神病院に連れていかれた私は、自分の力では立つこともできず、
車いすに乗せられ病院に入りました。
家から病院までの車中でも吐血が収まらなかった私はたぶん貧血状態だったのだと思います。
たぶん入院手続きをしていたのだと思うのですが、手が震えて自分の名前も書けません。
そして連れていかれたのが保護室、施錠された窓もない便器が一つだけの檻です。
隣の檻の中に居る人は手足を拘束され暴れながら何やら叫んでいます。
脳ミソが正常ではない私は、隣の人のことなど気にせず点滴を刺されながら眠りにつきました。
それからの数日間は記憶がありません。
しかし、見舞いに来た妻と私の姉に、
「ご苦労様です。どちら様ですか?」と、尋ねていたそうです。
妻と姉は泣き崩れたそうです。

自分か置かれている現実を理解し始めたのは、入院して4日目くらいからです。
そのあたりではまだ夢と現実がハッキリしておらず、壁掛け時計がライオンの顔に見えたり、
壁を蟻の大群が歩いているから殺虫剤を持ってくるように頼んでみたりしていました。
しかしなぜ自分が檻の中に居るのか?病名は何なのか?考える気力も体力もありませんでした。
点滴と食事のおかげもあって便の色も正常になり、体力も戻ってきたころには、
檻の中で消防団仕込みの行進の練習をしていたのを覚えています。

入院から11日、檻から解放され閉鎖病棟に移りました。
そこは6人部屋で、アルコール以外の疾患を持つ人とも一緒の部屋でした。
その頃になると、自分は酒が原因で入院しているということが理解できました。
でもその病院が精神病院だということは知りませんでした。
閉鎖病棟に移ってからのことは次回書くことにします。

つづく。








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アルコール依存症の完成

バブルは崩壊しました。
家に戻ってからは多忙と暇を交互に繰り返し、業績は安定しませんでした。
職人さんたちも高齢を理由に一人また一人と去っていきました。
現場で動けるのは私だけ、事務も営業も私と妻2人だけになりました。
まあ職人さんへの手間払いが無くなった分、赤字にはならなかったのですが。
一人きりなので、忙しくなると早出残業休日出勤は当たり前、
一方、それが切れると事務所にこもりがちになりました。
パソコンがあればいつ仕事をしても良くなり始めました。
そして家庭のことも子供たちのことも妻に任せ、
来客も電話も少ない夜間や休日に仕事をするようになりました。
一つ一つの仕事は利益が出ても、それが継続的にあるわけでもなく、
新規開拓や大手のような設備投資をする勇気もなく、波待ちの状態が続きました。

事務所では飲酒しないと決めていましたが、17時を過ぎると飲み始めるようになりました。
夏の暑い日には昼食と一緒にビールも飲むようになりました。
冬の寒い日には焼酎のお湯割りを飲むようになりました。
自分で決めたルールだったのに、それが徐々に崩れていきました。
飲んでいないと不安で押し潰されそうでした。
昼夜逆転が当たり前のようになり、事務所に布団を敷いて寝泊りするようになり、
食事とトイレ風呂以外には家に戻らなくなりました。
飲酒量も徐々に増えていき、入院直前には25度の焼酎を1日に4~5合飲んでいました。
仕事をしたい時にして、飲みたい時に酒を飲んで、その力で睡眠を取るようになりました。
3食取っていた食事も食べたり食べなかったり、風呂も入ったり入らなかったり、
私の生活は完全に荒んでいました。
人前に出る時には必ずマスクをして飴をなめガムを噛んでごまかしていました。
体中に消臭芳香剤をスプレーしました。
しかし、身体からにじみ出る酒臭さと風呂に入っていない汗臭さとで、
周りの人はさぞかし臭かったことでしょう。
講習会などに行っても昼食時に箸を使うと手が震えるのでいつもおにぎりでした。
文字を書くのも一苦労でした。
しかしその震えもトイレでグビッっと隠れ飲みをすると治まりました。
飲酒運転も日常茶飯事でした。
飲んでいても昼間ならば検問に引っかからない、飲酒運転の確信犯でした。
でもそれは単に酒の飲みすぎであって、アルコール依存症とは思っていませんでした。
そもそもアルコール依存症と言う病気の存在も知りませんでした。

消防団を退団したのもちょうどそのころです。
生活のリズムの変化と共に、仕事や家庭の不安が込み上げて来て、私は酒に逃げました。
24時間常に酔っぱらっているような状態となり、思考能力は低下し、体力も無くなっていました。
固形物を口にせず酒ばかりを飲んでいたので、栄養失調にもなっていたのだと思います。
身も心もボロボロでした。
目の前に見えているものが現実なのか?夢なのか?
そんなことさえも分からなくなっていました。

つづく。










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