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依存症への下地づくり 2

私が魔の集団「消防団」に入団したのは、実家に戻って間もなくでした。
私が戻ったということを聞きつけた現役消防団員の皆さんが家の玄関に居ました。
その面子を見ると、昔一緒に悪さをしていた近所の先輩たちでした。
「勧誘に来たぞ!親父には話し通してあるからな」と言われ、
その場で入団届に署名捺印。
訳も分からないまま私は消防団員になっていました。

入団して最初の練習日、消防団車庫に行ってみると見慣れた顔が。
それは頑なに入団を拒否し続けていた私の親友でした。
開口一番「お前が入るって言ったから入れさせられちゃったじゃね~か」と。
親友の同期入団は心強かったです。
その後彼とは20年以上、共に消防団生活を送ることとなりました。

噂には聞いていましたが、消防団の飲み方はすさまじかったです。
月に3回の練習、操法大会前の2カ月間は週3回、本番の火災、その他式典や行事の数々。
年間にして60日以上は自分と家族の時間を消防団に取られました。
消防団車庫は1階が消防車の車庫、2階が詰所という形になっていました。
2階に上がると一升瓶がズラリと壁を埋め尽くすように整列していました。
練習や行事の後には毎回日付が変わる時間まで飲んでいました。
私が入団したての頃は茶碗酒が主流で、ビールなんてハイカラな飲み物は有りませんでした。
先輩の中には「シェフ」と呼ばれる人が居て、毎回男の料理を振舞ってくれました。
当然皿洗い、片付け、詰所の清掃は勿論下っ端の私たちです。
まあ、そのおかげで今でも家での皿洗いは私の担当となっていますが。

一番激しかったのが旅行です。
日本全国消防団は悪評が高いです。
宿も消防団の名前を隠して偽名で予約します。(○○友人会とか)
出発時間に遅刻してはいけないと、前の晩から詰所で前夜祭、
バスに乗り込むころにはフラフラです。
高速に乗ってもすべてのパーキングでトイレ休憩、
一般道に下りてもバスを路肩に停めてトイレ休憩。
いつまでたっても目的地に着きません。
バスの中でも飲みっぱなし、昼食会場でも飲みっぱなし。
その勢いのまま宿に着いて、風呂で汗を流して部屋のビール。
ようやく宴会の時間に。
宴会の最中もその勢いは留まることを知りません。
ひとりまたひとりと沈没していき、ようやく部屋に戻って就寝。
自分の部屋にたどり着けず、エレベーターホールで夜明かしした人もいました。
がっしかし!
早めに脱落した先輩が復活して、早朝4時からのモーニングコール。
「おはよ~♪ さあ飲もうか?」
断ることもできずに朝宴会が始まります。
2日目も同じことの繰り返しで、昼食後にやっと寝静まります。
日も暮れてやっと家に帰れると思うのが間違い。
「さあ、慰労会だよ♪」と、バスは料理屋の駐車場に停まります。
旅行予定表を見ると驚いたことに、その慰労会まで予定に入っているのです。
しかし慣れというのは怖いもので、人間は順応性に優れた生き物なんですね。
旅行を重ねるごとに年々楽しみに変化していました。
2泊3日の時はさすがに辛かったです。
みんな2日目から胃腸薬を服用していました。

妻には、アルコール依存症になった諸悪の根源は消防団だといまだに言われています。

次回は精神病院入院中のことを書こうと思います。

つづく。












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依存症への下地づくり 1

私は幼少期から
「大人はお酒を飲んで楽しそうでいいな」
「タバコを吸っている人ってかっこいいな」と思っていました。
どちらも中毒性の高いものだとも知らずに。

私の家は自営業で、毎月末日は職人さんの給料日で飲み会。
集金の下請けさんもその時間を狙ってやってきました。
毎月末は10数名の人が酒を飲んでいました。
手間より酒のほうが高かった時代からの職人さんばかりなので、
いつもその日は大騒ぎでした。
小学生の私も、「ちょっと舐めて見な」と言われ、勧められるがままにペロッっと。
(酒って甘いんだな~、ビールって苦いんだな~)と、そのころから味だけは理解していました。

高校に入るとクリスマス、正月、部活の打ち上げは、
私の部屋で飲めない酒を持ち寄り、宴を開くようになりました。
部活のOB会の宴席にも学ランのまま呼ばれ、OBの家や割烹で飲むようになりました。
今の時代、そんなことをしてたら捕まっちゃいますよね。
そのころは、ただ単に大人の真似がしたくて、
吸えないタバコを吸いながら飲めない酒を飲み、それで満足していました。

一浪してようやく大学に入りましたが、理系だったので遊ぶ間も酒を飲む間もありませんでした。
大学を卒業して社会人になりいろんな集まりに出るようになってからは
酒の味を知り酒の楽しさを知っていきました。
その当時は家で晩酌はしませんでした。もっぱら外飲みでした。
入社したのが建設系で、尚且つバブル期ということもあり、
毎晩のように「夕飯食いに行くぞ~」と上司に言われ、居酒屋からスナックのハシゴでした。
会社に入って3年目のとき、国家資格取得のために1年間だけ禁酒をしました。

社会人となって6年、サラリーマン生活にも慣れ、仕事も楽しくなって来たころ、
突然実家の父が倒れたとの連絡が入り、会社とも家族とも話し合った結果、
後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く会社を退社し家業を継ぐことになりました。
長男が生まれると同時期に住んでいたアパートを引き払い、
妻子と共に実家暮らしがスタートしました。

仕事はまた1からの再出発なので覚えることも多く、田舎なので付き合いも多く、
寝たきりになってしまった父の代役も務めるようになり、
家で夕食を取るのは1週間に1度か2度となりました。

そして、時を同じくして入団したのが「魔の集団」と呼ばれる”消防団”でした。

消防団のころの話は後ほど書くことにします。

つづく。









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