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解放病棟から退院

2回目の解放病棟のスタートは順調でした。
頭もスッキリし、ノートに書く文字も普通に読めるようになりました。
保護室、閉鎖病棟、解放病棟の意味も理解で出来るようになりました。
日々のアルコール依存症についての読書で、この病気の知識も増えていきました。

解放病棟に移り、1週間のインターバル期間を終え、
いざ断酒プログラム開始!
と思ったのもつかの間、私は原因不明の発熱に襲われました。
尿意をもようしたのでトイレに行こうとしたのですが、ベッドから起き上がることが出来ません。
猛烈な体温の上昇で頭も朦朧としていて、転がるようにして床に落ちました。
歩く以前に床からも立ち上がることが出来す、私は失禁してしまいました。
あまりの恥ずかしさに耐え切れず、当直の看護師に「家に帰らせてくれ」と言いました。
まあ、そんな私の発言など受け入れてもらえるはずもなくオムツを履くことになりました。
インフルエンザを警戒されたのか、翌日にはトイレ付きの特別室(個室)に隔離されました。
特別室に移り、たった1日で熱はウソのように下がりました。
発熱による脱力感はあるものの、食欲もあって至って健康。
熱が下がってから看護師に聞かされたのですが、
ピーク時には体温が42.3度もあったそうで、転院の話も出ていたそうです。
そんな体温聞いたことも無かったので、私本人もビックリでした。
その後、経過観察のため6日間特別室に居たのですが、いや~快適でした。
7日以上特別室に居ると特別室使用料が発生してしまうため無理を言って戻してもらいました。

仕切り直して断酒プログラムの開始です。
プログラムに入ると、アルコールで入院している人は他の患者さんとは別室になり、
日々断酒のことばかりについての教育が始まります。
院内交流会、ミーティング、座談会、ビデオ鑑賞会、断酒会やAAのメッセージ、
そして院外研修として、近隣の断酒会例会、AAのミーティングに参加。
午前中は時間があったので、アルコール依存症についての本を読み漁りました。
毎日が忙しかったです。

そんな断酒プログラム漬けの日々にも慣れてきたころには、
早く家に帰りたい、早く家族に会いたい、早く仕事がしたい
といった欲求が溢れるようになってきました。

プログラムの合間に、義務外泊が2回ありました。
1回目はお盆が近いので墓地の清掃、2回目は家の近所の断酒会例会に参加しました。
家の食事、家の風呂、家の布団は気持ち良かったです。
1回目の義務外泊の時、事件は起きました。
炎天下の墓地清掃でのどが渇いたのでコンビニへ。
入院前のクセで私は缶チューハイを買って飲んでしまいました。
それは飲酒欲求とは別なもので、条件反射いわゆるパブロフの犬です。
それを妻に見つかり、酷く怒られました。病院にもチクられました。
この3年間で酒を口にしたのはその時だけです。
不用意な行動に反省しています。

そして断酒プログラムを始めて83日目、ついに退院することが出来ました。
保護室から始まった入院生活は、合計で158日でした。
通常のアルコール依存症の入院なら約3ヶ月ですが、
私の場合は断酒プログラムに入るまで、この世の人間に戻るまで、
2カ月かかってしまったので約5ヶ月の入院となってしまいました。

退院の日の帰り道、妻の運転する車の中で食べた、
チョコモナカジャンボとコカ・コーラゼロの味は忘れることが出来ません。

精神病院を退院した私は、その月から断酒会に入会することになります。

つづく。










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閉鎖病棟から解放病棟

保護室から閉鎖病棟に移っても幻覚はおさまりませんでした。
夜中に天井裏で作業を毎日している人が居ると言ってみたり、
夜中に病室の窓から脱走を図ったやつが居ると言ってみたり、
同部屋に薬物を精製して売買をしている人が居ると言ってみたり、
看護師たちが隣の部屋で騒いでいてうるさいと言ってみたり、
ナースセンターがダーツの矢で襲撃されたと言ってみたり、
グループミーティングではコンパニオンを呼んで酒盛りをしていると言って
「あのOBは断酒会ではなく飲酒会だ」と言ってみたり。
病院自体がホテルみたいな構造になっていて、
下の階では楽しそうに酒盛りをしていると言ってみたり。
夢と現実が入り混じり、どこまでが現実で、どこまでが夢なのかわからなくなっていました。
その症状は禁酒を始めてから1ヶ月以上は続いたと思います。
面会に来た妻には、それらのことを「誰にも言うなよ、バレたらヤバイから」
と本気で耳打ちしていたようです。
病院の看護師さんたちはとても親切で優しかったです。
各部屋ごと一人一人に小分けされた処方薬を飲ませてくれました。
たわいのないことでも、何でも話しかけて来てくれました。

閉鎖病棟に移ってから、ノートに記録を残すようになりました。
記録と言っても日付と曜日、トイレの回数、日々の日程表だけです。
今、手元にあるそのノートを見ていますが、
文字は震え、まるで小学校低学年レベルです。
間違いだらけで意味不明なことも書いてあります。
ノートの中の私は、保護室を別館、閉鎖病棟を本館と書いています。
面会に来てくれる妻のことが待ち遠しくてたまらないのか、
衣類や乾電池、身の回りの物やマンガ本などを注文票としてたくさん書いています。
携帯電話は没収されていたので、毎日廊下の公衆電話から妻に電話をしていました。
7時起床→朝食→服薬→自由→昼食→服薬→自由→夕食→服薬→自由→21時半消灯
風呂は週2回、こづかいは渡されませんでした。
無気力な私は、単調な毎日のタイムスケジュールに何の疑問もなく従っていました。

閉鎖病棟に移って25日目、何度も閉鎖病棟の中で何度も引っ越しを重ね、
ようやく解放病棟に移ることになりました。
その時点で本人は閉鎖病棟と解放病棟の違いに気付いていません。
言われるがまま解放病棟に移りました。

解放病棟に移ると、それまでの入院生活とはリズムがガラリと変わりました。
こづかい制、洗濯は自分で、朝食後のラジオ体操、中庭への外出可、毎日研修など。
リハビリ中の私の脳みそはパニックを起こしました。
研修中に大声を出して暴れ出し、「もう家に帰る!」と言って荷物をバッグに入れ始めました。
そこで私を止めに入った医師と看護師の会話が耳に入って来ました。
「解放病棟はまだちょっと早かったかな?」と。
そしてその日のうちに私はまた閉鎖病棟に返却されました。

返却されてからが長かった。
単調な日々に飽き飽きしていた私は、マンガ本を読み漁り、
ベッドに寝そべっては天井の模様と天井板を止めるビスの本数を数え、
トイレに入ってはタイル目地の本数を数え、もうすることが無いと思った時、
入院時に購入させられたアルコール依存症についての本(SMARP)にたどり着きました。
その時からアルコール依存症について猛勉強しました。
本の大事な部分にアンダーラインを引き、ポイントをノートに書き写しました。
その本を繰り返し繰り返し、何度も読みました。
そのうち頭の中がスッキリし始め、ノートに書く文字も正常に戻っていくのを感じることが出来ました。
そして閉鎖病棟へ返却されてから28日目、ふたたび解放病棟に移動することとなりました。

つづく。











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