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依存症になる性格

自分の性格とアルコール依存症の関係について軽く分析してみました。
  
私は、無駄なことが嫌いです。そして空いている時間が嫌いです。
スケジュールどおり何日の何時に何処に集合、何時に解散とか
何時に次の仕事場に行かないといけないから、ここを何時に出るとか
17時までに終わらす仕事が16時に終わってしまった場合、次の日の仕事を始めてしまいます。
とにかく無駄なくスケジュールを埋めていくのが好きです。
だから、ことがスケジュール通りにいかないとイライラします。
そのことで周りの人たちにもだいぶ迷惑をかけたんだろうなと思っています。
自分の作ったスケジュール表を見ても睡眠時間以外は空白な時間が少ないです。
以前は、予定の無い日曜日はその空白の時間を埋めるべく朝から酒をあおりました。
仕事が甘い日は、昼間から隠れて酒を飲んで無駄な時間を埋めていました。
この性格が昼夜逆転、連続飲酒の原因の1つだと考えています。
退院後から作り始めたカレンダーとスケジュール表も無駄な時間を恐れるがごとく作り続け、
病み上がりにもかかわらず、私が120歳になった時のぶんまで完成させていました。
以前にも書いたように、私は真面目で物事にハマりやすく、神経質な性格です。
一度集中すると几帳面に寝る間も惜しんでやってしまうところがあります。
スケジュール表が真っ黒になっていないと落ち着きません。
持って生まれたこの性格だけは、なかなか方向転換が難しいものです。

当分は無理をせずに療養しようと思ってはいたのですが、
周りが師走で忙しく動いているのを見ると、早くあの輪の中に入りたい、
「今まで通り仕事がしたい」と、気ばかりが焦り落ち着きませんでした。
アルコール依存症と肝硬変になってしまった以上、もう酒には逃げられません。
子供もまだ大学生がいますし、子育てが終わるまでは頑張らなくてはなりません
先に死ぬわけにはいきません。焦らずに焦らずにと、自分に言い聞かせています。
妻も自分のこと以上に私の身体を気遣ってくれています。
毎回一緒に例会にも参加してくれてます。
例会が続き 私が「明日は休もうよ」と言うと
「それなら私だけでも行く」と言い、妻が私を例会に引っ張っていってくれます。
私の肝臓を気にして美味しくない制限食にも付き合ってくれてます。
ウォーキングも、自分のダイエットの為だと言って付き合ってくれます。
  
妻は、何にでも深く突っ込み突っ走ってしまう私の性格のブレーキでもあり、
突然イヤになって投げ出してしまいがちな私のアクセルペダルでもあります。
妻にはいくら感謝しても足りません。

私の病気で、どれだけ周りに気を使わせているか、どれだけ協力してもらっているか。
どれだけ迷惑をかけているか、身をもって感じています。
  

つづく。








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肝硬変 2

肝硬変について調べなおしてみました。
入院する前から 黄疸、むくみ、腹水、出血が止まらない、鼻血、吐血などの自覚症状はありました。
なので入院するだいぶ前から肝硬変だったんだと思います。
私はビビリなのでついつい「肝硬変余命」「肝硬変生存率」で検索してしまいます。
文献による3年生存率とか肝臓がんに移行する確率などを再度見なおして
大変な病気にかかってしまったんだなと改めて感じました。

精神病院を退院して家に戻った私は、アルコール依存症と肝硬変の治療のための通院、
断酒会例会への出席の日々が始まりました。

肝硬変はチャイルドピュー分類グレードC 3生存率30%からのスタート。
精神病院入院中から、別の総合病院での内科外来通院4カ月。
退院して近所の病院への通院が始まりました。
最初2.9g/dlしかなかったアルブミン値も3.3まで上がっていました。
転院して初めての通院日、医師からは、悪いながらも回復傾向にあると診断されました。
服薬、食事制限、特に「アルコールだけは絶対に飲んではいけませんよ」
「まだ死にたくないでしょ?」と言われました。
食事制限も厳しく、油分と塩辛いものは控え、良質のタンパク質を取るように言われました。
ということは、外食とコンビニ弁当はNGです。
それからの私の食生活は、野菜中心で豆腐と納豆と鳥のささ身ばかりになりました。
適度な運動も欠かしませんでした。
しかし、断酒の経験がある人には分るでしょうが、
急にアルコールを断った体は無性に糖分を欲するのです。
饅頭と大福が止まらなくなりました。(洋菓子はリキュール類使用のケースが多いのでNG)
幸い血糖値は正常で、糖尿の心配は有りませんでした。
それから、飲酒欲求抑制のために水分をたくさん取るようになりました。
暑い日は0kcalの炭酸水、寒い日はコーヒーと緑茶、これも止まらなくなりました。
そしてそれは、3年経った現在も変わることは有りません。(節制せねば。。。)

通院を始めて1年が経ったころ、ようやく私の肝硬変はチャイルドピューBになることが出来ました。
アルブミン値も3.6g/dlまで上がりました。
20リットルのポリタンも持ち上げられないほど落ちていた筋力も戻り、力仕事もできるようになりました。

そして通院2年を過ぎたころ、事件は起きました。
アルブミン値も4.2g/dlまで上がり、チャイルドピューAになることが出来ました。
医師からも「会社の健康診断なら引っかからない程度には回復してますね」と言われました。
一見順調そうに思えた私の肝硬変ですが、
腹部の超音波検査(エコー)で引っかかりました。
CT,MRI、エコーの検査を半年に1度の割合で行っているのですが、
私の肝臓に白くぼやけた影が発見されました。
その翌週、造影剤入りのCT検査を受けることとなりました。
結果は1か月後ということで、まあその1ヶ月が長いこと長いこと。
「酒も飲んでいないのに、こんなに節制もしているのに」と、ひどく落ち込みました。
良からぬ想像ばかりが頭の中を駆け巡りました。
もし肝細胞癌だったらどうしよう、そうなると余命は?
仕事のことはどうしよう、家族のことはどうしよう、ネコの世話はどうしよう?
癌を克服して、仕事を今まで通りやっているか?子供たちは結婚しているか?
それとも、病気が悪化しているか?もうこの世には居ないか?
もしそうなっていた場合、家族はどうしているのか?
いろんなことを考えると、頭の中がグチャグチャになりました。
悩んでばかりいないで、今を一生懸命生きるしかないと言い聞かせました。
しかしCTの検査では、特に異常はないということになり、
生きる望みが復活しました。

次回は退院後の生活について書こうと思います。

つづく。

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肝硬変 1

これまで書いて来たように、さんざん飲んで心を病んでまた飲んでを繰り返してきた私ですが、
アルコール依存症が発症する以前から、健康診断で医師からは脂肪肝を指摘されていました。
腹部のエコー検査の結果からも、目視可能なほど私の肝臓は白っぽく見えました。
医師からの「お酒はどのくらい飲まれすか?」との問いに、
「毎日焼酎のお湯割りを3杯くらいです」と答えました。
本当は25度の焼酎を3合は飲んでいたんですけどね。
下された診断では要精密検査と出ていましたが、それを無視し続けました。
当時の私にとっては、酒が飲めなくなることのほうが恐怖でした。

月日は過ぎ、先ほどの健康診断から5年ほど経ったころから、
隠れ飲み、昼夜逆転、連続飲酒が始まりました。
仕事のミスが多くなり、体力が持続しなくなり、手の指先が震え始めました。
手の震えは酒を飲むと止まります。
飲むと脳がマヒするので、夢中になって徹夜作業をしたりします。当然飲みながらの作業です。
飲んだ勢いだけで仕事をするのでミスは多くなります。
そしてあの悪夢のような吐血と下血の日を迎えるわけです。

精神病院に入院して離脱症状も徐々に治まってきたころ、そこでは内科の診療が不可能ということで、
精神病院の近くにある総合病院の内科外来を受診することになりました。
まだ体に力が入らない状態だったので、車椅子に乗っての受診です。
採血をして出てきた結果は、重度のアルコール性肝硬変でした。
腹水、黄疸、浮腫みも指摘されました。
ひどくなると吐血をして死に至るケースもあると脅されました。
私が吐血して精神病院に入院した時に、医師から家族に対し、
「72時間以内に変化があれば覚悟をしてください」と言われたのも頷けます。
私の肝硬変はチャイルドピュー分類でグレードC(重度の肝硬変で非代償性)
肝硬変の中でも最も悪い症状でした。
そこで医師からは「この先一生酒を飲むことはできませんよ」と言われました。
「あ~、ついにこの時が来たかぁ」と落胆の色が隠せなかったのを覚えています。
飲んでいたころは周りに「酒は毎日飲んでるよ、病気になるまでは飲み続けるよ」と言っていました。
肝臓が悪くなっているなとは思っていましたが、まさかの肝硬変。
その中でも最悪のグレードC。 
後に書籍で調べてみると、3年生存率30% 正直落ち込みました。
肝硬変の薬を処方してもらい、精神病院での食事も他の入院患者とは別メニューとなりました。
その後も精神病院から総合病院への通院は続きました。

肝硬変の通院が4カ月ほど経ったころ、一方のアルコール依存症は回復の兆しを見せ始め、
精神病院は、晴れて退院することが出来ました。
肝硬変の治療は、紹介状を書いてもらえるということで、
自宅の近所の病院に通院することになりました。
続きは次回に書きます。

つづく。









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断酒会入会

精神病院に入院し廃人と化していた私は、退院なんて夢のまた夢、
このままここで余生を送るのだろうか?と半分諦めていました。
5カ月と時間は掛かりましたが、めでたく退院することが出来ました。

退院した私は、すぐに断酒会に入会しました。(会費あり)
断酒会例会は全国各地で行われており、私は家の近くの支部に所属することになりました。
AAも断酒会同様、全国各地でミーティングが行われています。(会費無し)
断酒会かAAかと言われると即答できませんが、
足を運んで自分に合ったところを選択すれば良いと思います。
どこにも所属せずに自力に断酒と向き合っている人もいらっしゃいます。
ブログやTwitter、You Tubeを活用している人もいらっしゃいます。
選択は個人の自由なので、最も断酒が可能な方法を見つけるのも楽しいですよ。

私が断酒会を選んだ理由は、
入院前から妻が断酒会の人にアドバイスをもらっていたこと、
知り合いが入会していること、
近所で例会が頻繁に行われていることなどです。

私の支部では週2~3回(月15回)の例会があります。
最初のころはオールコンプリートしていましたが、現在は月に3~4回の出席です。
AAにもたまにチャレンジしています。

断酒歴も3年を過ぎましたので、
今は断酒の気持ちを忘れないように、私の存在を忘れられないように、
たまに顔を出す程度になりました。
例会は平日19時からなので、仕事との兼ね合いもあるので出られるときに出ています。

私は例会に参加する際、発言したい内容を文章化してから望むようにしています。
それは、しゃべる内容を忘れないように、同じことをしゃべらないように、
後々読み返して、その時々の心境を思い返すように、
もし飲酒欲求が襲ってきたら、それを読み返して踏みとどまれるように。
幸いなことに、退院してからは一度も飲酒欲求が湧いてきたことがありません。
酒宴の席で隣の人が飲んでいても気になりません。
ノンアルコールビールを口にしても、本物のビールを飲みたくはなりません。
「アル中にはノンアルは危険だ」と言われますが全然平気です。
それは以前にも書いたように、私が壮絶な「底つき」を経験しているからだと思われます。
私は酒で死にかけているんです。飲むはずがありません。

今まで書いていませんでしたが、私にはもう一つの飲んではいけない理由があります。
それも命にかかわることです。

次回はそのへんから始めます。

つづく。











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