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4回目の入院記念日

本日より、断酒5年目に突入です。


4年前の2017年(平成29年)4月14日、

いつ起きたのか、いつ寝たのか分からないが、気が付いたら飲んでいた。
その日も目覚めとともに明け方から飲んでいて、
あれっ?おかしいな?込み上げてくるものがあるぞ!
その直後、窓から首を出して嘔吐。
赤ワインを飲んでいたので赤黒い液体が勢いよく噴射された。
ひとしきり吐いてようやく落ち着いたころに第二波、第三波が。
嘔吐する液体がだんだん真っ赤になっていったのを覚えている。

そして次に便意に襲われた。
トイレに着くや否や、ズボンを下ろすと同時に下からも噴射。
便器に座りながら嘔吐(吐血)と、下痢(下血)を繰り返した。
真っ赤になった便器を掃除し、失敗したパンツを窓から放り投げ、
いざ立ち上がろうとするが足腰に力が入らない。
ほふく前進のように這いながらトイレから出たところで力尽きた。

その時の出来事は、断片的にしか記憶に無く、
後から聞かされた話に、妻に血まみれの尻を拭いてもらい、
妻からの連絡で駆けつけて来てくれた、近くに住む姉の車で病院に搬送された。
その車中でも吐血は収まらず、バケツに顔を突っ込みながら1時間、
ようやく病院(精神病院)に到着。
訳も分からず即入院。
手続きをするときにも、離脱症状で手が震えて自分の名前すら書くことが出来なかった。
そして手続きを済ませ、車いすに乗せられて着いた場所は、
鉄格子で囲まれ施錠された便器1つしかない保護室(檻)だった。
隣の檻の中に居る人は手足を拘束され暴れながら何やら叫んでいた。
脳ミソが正常ではない俺は、隣の人のことなど気にせず、
倒れこむようにせんべい布団の上で点滴されながら眠りについた。
そのとき家族は「72時間以内に変化があれば命に関ることになるかもしれない」
と医師から聞かされた。

それからの数日間は記憶が無い。
見舞いに来た妻と私の姉に、「ご苦労様です。どちら様ですか?」と、尋ねていた。
妻と姉は泣き崩れたそうだ。
   
そうして、俺とアルコール依存症との闘いの日々は始まったのが4年前の4月14日。

4年間で、アルコール依存症 → 肝硬変 → 肝臓がん
まるで教科書に書いてあるような経緯で今日まで来た。
1年後の入院記念日には、ここでどんなことを書いているのだろう?


コロナ隠し同様、アル中隠しをしていると、
必ず痛い目に遭います。
一度や二度のスリップは仕方ないことです。
とにかく早く、「負け」を認めて断酒を始めてください。
1人ではダメなら病院、自助グループを利用してください。

真摯にアル中、アルコール依存症を受け入れ、
俺みたいになる前に食い止めてください。
   
つづく。


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