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共依存

独身主義、晩婚化、少子高齢化が進んでいる中、
年齢を重ねるごとに、相対的に成婚しにくくなっており、
男女ともにお酒を「飲む」ほうが「飲まない」よりも成婚しやすいらしい。
まあ、飲酒によって本性を現しやすいが、ボロも出やすい。
本当の自分を知ってもらうには、酒は必要なアイテムのひとつのかもしれない。

うちの場合は、俺は大の酒好きであり、
妻はほとんど飲まず、「酒を飲んで酔っ払う人の気が知れない」と、真逆だ。
たしかに酒を飲まない人にとって、酒のみの付き合いって理解不能だと思う。

後に妻の話を聞いてみると、先輩や後輩を途中で拾って飲み屋への送迎を頼むと、
「お付き合いのためなら仕方ないのかな?」と、
頭にはてなマークを浮かべながら付き合っていてくれていたそうだ。
同乗した人は「七さんの奥さんは、よく迎えに来てくれますね」
「ウチだったら速攻電話を切られちゃいますよ」と言っていた。
妻には「いつも悪いな」と言いつつも、
内心では、「よくできた奥さんだ」と言われたい、
うちの妻は、外での飲酒に理解があると思われたいと、
周りの人に対しての優越感に浸りたかっただけなのかもしれない。

ここで出てくるのが「共依存」という言葉である。
俺は、自己自身に対する過小評価のために他者に認められたいがため、
自己犠牲的な献身を強迫的に行なうために、酒の力を借りていた。
それが気づかぬうちに過剰飲酒となり、落ちるところまで落ちた。
一方の妻は、「女性にふさわしい役割」を求め、
俺のアルコール依存症に巻き込まれながら、
俺の依存心に依存するといった形で、この病気に手を貸してしまっていた。
俺と妻の双方に言えたことは、
相手への尊重を行なう自己犠牲的な献身と、
相手を支配しようとする自己中心的な操作だ。
相手を自分の思う方向へ動かそうと、お互いを消耗し合っていた。

日々生活をしているこの現代社会のなかで、
他者からの評価を得ることによって、
みずからの存在の意義を手に入れようと必死になっているのは、
何も特殊な人に限られたことではないのではないか?
現代人は、外部からの徹底的な評価によって管理され、
品質ごとに階層分化されるようになっている。
少しでも高い評価を得ようとして、自らの品質を上げることを生きる目標にする。

共依存の特徴とされるものは、現代社会のあらゆる場面でも見られる現象である。
社会に適応しながら、当たり前に生活するうちに、
ふと「生きにくさ」を感じた時に、心の病気に陥る。
自分を依存症だと認めたときから回復の途につくように、
現代社会を生きる人びとがみずからの抱える問題に気づき、
そこからの抜け道を摸索するために、
「共依存」という用語を必要としているのではないか。


つづく。


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