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娯楽少ないから酒宴

今日は気持ち悪いくらいに生暖かい朝だ。
空はどんより、朝のうちに最高気温のパターンだな。

本日の流鏑馬を見るために、長女が帰ってきている。
長男も帰郷の予定であったのだが、インフル39.5度により断念。
コロナが心配されたが、抗原キットで陰性だったそうだ。

妻同様、重度の花粉症の2人に、「花粉の気配を感じるか?」と聞くと、
「まだダイジョブ」と言っていた。
「花粉が飛び始める前に耳鼻科に行かなくちゃね」とも言っていた。
俺以外のウチの家族は花粉症のベテランである。
花粉症で苦しむのは自分だから、そのへんは抜け目がないようだ。

花粉症の症状を軽くするためには、できるだけ花粉との接触を減らすことが重要。
マスクの内側にガーゼを挟み込むとより効果が高いと言われている。
花粉症の症状が現れたら、できるだけ早く「抗ヒスタミン薬」などの薬の服用を開始。
花粉症治療には、初期療法が有効だとされている。
毎年、花粉症の症状で悩まされている人は、
花粉の飛散量がピークを迎える前に医療機関を受診することをおすすめする。

今日は流鏑馬もあるが、神社に講(こう)の代理参拝(代参)に行って、
そのあと各戸を回ってお札料の集金をするという役目が順番で回って来た。
それに、流鏑馬が終わると後片付けと旗おろしもあるし、
素直に「お祭りを満喫」というわけにもいかない。

講(こう)とは? ↓
古くから、神社を信仰する人々が「講」と呼ばれる集団を各地に結成している。
現在は少しずつ減って来てはいるが、ウチの周りでは未だにその風習が細々と残っている。
講の代表者は年1回、人々に代わって神社を参拝し、
「家内安全」、「交通安全」などを、一緒に祈願する役割を担っている。

昔ながらの風習の講は、年々減少の一途である。
現在はお札料の集金という形を取っているが、
俺は20代のころから親父の代役で代理参拝に行っている。
20~30年くらい前までは、各戸を回らずに飲み屋の座敷に寄り合って、
そこで集金し、酒宴が開かれていた。
むかしは娯楽が少なかったし、酒好きも多く、
人が集まる場所には常に「酒」があった。
会議といえば、30分で会議を終わらせ、その後必ず宴会があった。
「めしでも食べて帰るか?」と言われれば、固形物ではなく酒という流動食だった。
行事があれば、必ず慰労会が付いて来た。

たしかに「酒」は、コミュニケーションツールのひとつではあるが、
今から考えると、少しやりすぎであった感は否めない。
しかし、オープンな飲酒の機会が多かったため、
隠れ飲みやウソをついてまでの独り飲みをするような人は少なかったような気がする。
内臓の病気で亡くなっても、
喪主の挨拶では「故人は生前酒をこよなく愛し・・・」と、
葬儀の後席では「あの人は酒が好きだったからな~」と、
参列者はまた杯を酌み交わせていたりした。

現在は「アルコール依存症」が精神疾患として認知され、そのような言動は少なくなった。
俺もひと昔前ならば、今ごろ生きていなかっただろう。
単なる酒好きだった人として過去の人となっていたはずだ。


つづく。


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