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昔の酒、今の酒

昨日の朝は昭和の若者と令和の若者について書いた。
酒についてはどうだろう?

昭和時代には、何かにつけて酒はつきものだった。
仏事、神事、冠婚葬祭、会議、旅行など、人が集まれば必ずと言って良いほど、
その場には空らずと言って良いほど酒があった。

コミュニケーションツール、ストレス解消、気持ちを高揚させるためにも酒は大いに役立った。
まあ、俺みたいに酒好きが高じてアルコール依存症になってしまうヤツも居るが・・・
心がどん底まで落ち込むと、何かに縋ったり逃げたくなる。
そんな時に思い出されるのが、
楽しかったことや気持ちが高ぶっていたこと、美味しかったことなど。
酒は安価で手に入りやすく昔を思い出させるにはうってつけの逃げツールだ。

現在の令和時代には、飲酒という行為自体が敵視されつつある。
「酒は百薬の長」から「酒は百害あって一利なし」に移行した。
まあ、昔から「酒は百薬の長」という言葉は、吞兵衛の言い訳に過ぎなかったが。
「酒は百害あって一利なし」と言われ始めてからというもの、
コロナ禍も手伝って、外飲みの機会は激減した。
昔は威張って外で大酒を飲んでいた。武勇伝も語っていた。
現代では、あたかも悪事を働くがごとく裏で隠れるようにして飲むようになった。
酒飲みたちも、昔のオープン不良と今のムッツリ不良に似ている。

飲酒も、裏でコソコソ隠れ飲みのほうがわかりづらくてタチが悪い。
令和のアル中は、外で飲む機会も無いし相談相手も少ない。
ブレーキをかけてくれる人が居ないから、飲酒量は気付かぬ間に日に日に増してくる。
「病院に行け!」と言われれば、1週間禁酒して数値を下げ、日ごろの暴飲を隠す。
隠しきれないほど酒に支配され、挙句の果てに脳と内臓が悲鳴を上げ強制入院。
ほぼ俺のはなしだ。↑

妻の参加したセミナーでの話を聞いた。
アルコール依存症よりギャンブル依存症のほうがタチが悪いそうだよ」と。
確かにギャンブル依存症は、アルコール依存症より隠しやすいし身体的な変化が無いので、
借金苦で首が回らなくなるまで気づかれないそうだ。

人間にとって生きていく上で、「ほどほどに」という言葉ほど、
実行しやすそうで実行するのが難しいことはないと思う。

日々精進だ。


つづく。


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