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6年前の今日

俺は6年前の4月にアルコール依存症で精神病人に緊急入院した。
下血と吐血が止まらなくなり、トイレの中から妻を呼んだ。
「立てない~、病院に連れてって~~」と蚊の鳴くような声で懇願した。
アルコール依存症者は限界まで嘘をつき通す。
自分の身体、その先に待っていることなど考えられないほど落ちていた。

それは後から聞いた話に、妻が精神病院に入院の相談に行った翌日のことだった。
ふつうアルコール専門病棟への任意入院なら、3ヵ月で退院となるが、
重度のアルコール依存症と肝硬変の俺は、症状が回復せず5か月の入院となった。
入院当初は足腰が立たずに、車いすでトイレに行くのがやっとだった。
ベッドの上ではよく夢を見た。
それが夢なのか現実なのか幻覚なのか、区別が付かないほどに脳もヤラレていた。

入院して3ヵ月が経った頃、頭もスッキリして閉鎖病棟から開放病棟に移れた。
医師から「そろそろ1回自宅に帰ってみようか」と、1回目の義務外泊を促された。
その病院では入院中に、中間と退院直前の2回の義務外泊がある。
義務外泊の目的は、社会復帰の準備段階として病棟外での断酒の継続と、
地域や家族との人間関係の回復にある。
外泊後は、振り返りと次回の外泊計画を看護師と確認する。

入院中の日記を見たら、1回目の義務外泊が7月30日から8月1日までだった。
ちょうど今から6年前のことである。
日記と同時にその年の卓上カレンダーを見たら、今年は6年前と曜日が一緒なんだね。

日記を辿りながら義務外泊の時のことを振り返ってみる。
朝9時半、妻が病院に到着。
外泊中の心得などをレクチャーしてもらい、妻の運転で帰路に就く。
途中のコンビニでコカコーラゼロとチョコモナカジャンボを買った。
1500kcal/日の肝硬変メニューで糖分を欲していたので、舌と胃に沁みた。
帰宅するとすぐにPCの電源を入れメールチェック&約3000件メール削除、
携帯の電源は入れっぱなしで、妻に「夫は入院中だ」と応答してもらっていた。
そのころはまだ事務所ネコのシロは居なかった。

3ヵ月半ぶりに自宅に帰り落ち着こうとしたが
「俺の居場所が無い」って感じで落ち着けなかったのを覚えている。
まだ学生だった子供たちも、俺に気を使っているのがわかった。
外泊2日目には盆前の墓地清掃に親子そろって行った。
久しぶりに大汗をかいて、1人でゆっくりシャワーを浴びた、気持ちよかった。
病院では週2回の入浴、部屋ごとに順番でトコロテンのように浴場から押し出されていた。

そしてその後が問題だ。
風呂上がり、トラックの給油にGSに行ったとき、
GSの隣のコンビニでストロングゼロを買ってしまったのだ。
これが不思議なことに条件反射というか、無意識と言うか、
コンビニ = 缶チューハイと、パブロフの犬のように俺の体と脳は覚えていたのだ。

帰宅して一口飲んだところで、とてつもない罪悪感に苛まれた。
「今まで頑張って来たのに、何をやっているんだ俺は」と。

一口飲んで、残りを窓から捨てた。
妻にも飲酒がバレて病院にチクられた。
帰院後、反省文を書かされた。
家族や周囲の人、それに医療機関などに見守られていないと、
こんな感じで再飲酒が始まるんだろうな。


つづく。


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