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酒好きは武器だった

ある高校野球部で、複数の部員が喫煙し、
秋季大会出場辞退でセンバツは絶望的となったそうだ。
他の部活なら当時者の退部、停学、退学などですむが、
高野連の絡む野球部は他の誠実な子まで責任を負わされる。
これは今になっても可哀そうに思う。

俺は高校の時、応援団部だった。
野球部には迷惑をかけられないので、
公衆の面前では飲酒喫煙はしなかった。

飲酒は、卒業した先輩やOB会のおじさんたちに勉強させてもらった(笑)
地元でも、お祭りの時には未成年でも高校卒業していれば飲酒を黙認された。
今から30~40年くらい前までは、どんな会合にも「酒」があった。
大学1年生が新入生歓迎会で急性アルコール中毒になったというニュースにも、
「若いうちから酒に慣れておけ」とか、
「早く自分の限界を知ることが大切だ」とか、
今では考えられないような教えを受けたものだ。

酒が好きなフリ、酒が強いフリをすると、先輩たちから可愛がられた。
そして武勇伝もいくつも作った。
その武勇伝も、数年間酒のつまみ話となった。

就職してからも、週末には飲み会が絶えなかった。
その後家業を継ぐために20代後半で実家に戻ったが、
その半年後に親父が脳梗塞で倒れ、
親父の代行で、オジサンたちとの酒宴が多くなった。
その場でも、若気の至りで調子づいて飲むほど可愛がられた。
「蛙の子は蛙だな」、「蛙の孫も蛙だな」と言われた。
うちの家系は代々酒好きなのだ。
周りの環境からも、俺の酒好きは拍車がかかっていった。
「酒好き」は、周囲に打ち解けるための強い武器となっていた。
ときに「酒」は、体の疲れを麻痺させる麻薬のようでもあった。
そして時は過ぎ、
仕事に対する悩みや不安からも逃げるように「酒」の力を借りた。

飲みすぎが習慣化してからアルコール依存症になるまでの期間は、
男性で20年以上、女性はその半分の期間といわれている。
40代後半でアルコール依存症になった俺は、成るべくして成ったと言える。
今の病気に対する知識があったならば、
アルコール依存症にはならなかったのかもしれないが、自業自得である。

まあ、依存体質の俺は、
酒がダメなら他のものに依存していたとは思うが。。。


つづく。


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