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忘れてはならない3.11

今日は3.11
あれから12年が経った。
苦しんでいる人は12年経った今もなお、1分1秒苦しんでいる。
3.11はいつまで経っても忘れてはならない。

現在でもなお、様々な形で避難生活を強いられている人が多くいる。
東日本大震災はまだ終わっていない。
思い出さないようにしていても、決して忘れることはできない。
キャッチーな謳い文句で簡単に「復興」を語ってはいけないと思う。
補助金が出ても、エセ支援で東京からの出稼ぎ大手企業に持って行かれたり、
オリンピックに名前だけ利用されたりして、
本当の復興にはつながらない場面もしばしば見受けらた。

以前、精神病院にアルコール依存症で入院していた時にも、
福島から移住してきた70過ぎの人が同室になった。
実家には帰れない、家族や仲間とはバラバラ、
メンタルやられて「酒」に逃げるしかなかったそうだ。
でも、そのおいじさんは病院内では至って明るく振舞っていた。
俺は、どう声をかけたら良いのかわからなかった。

震災当日同時刻、ものすごい揺れが長く続いた。
俺は事務所の書庫を手で押さえながら、揺れが収まるのを待っていた。
少し落ち着いてから外に出ると、電柱と電線が揺れていた。
四方の杉山からは、花粉が山林火災の煙ように立ち込めた。
そして霧雨か靄がかかったような景色となった。
当時は消防団に所属していたため、
揺れが収まってから、担当地域内のパトロールに駆り出された。

あんな揺れかたは初めてだった。
あの時、裏山で地すべりでも起こったら飲み込まれていただろう。
事務所内はモニターが倒れただけだったが、
林場の材木が倒れ、復旧にはそうとうな時間が掛かった。
子供たちは学校で、机の下に隠れていたそうだ。
生徒より教師のほうがパニクっていたと言っている。

東日本大震災の後、俺の親父が亡くなった。
親父の葬儀は、斎場が順番待ち状態で2週間遅れた。
電話もメールも繋がりづらくなった。
計画停電で、仕事がうまく回らなくなった。
年度末の役所工事は工期延長を許可された。
ガソリンと軽油の奪い合いとなり、GSは長蛇の列だった。

いつまでもあの日のことを忘れてはいけない。


つづく。


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