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適量は難しい

何でもかんでも依存症にしてしまう社会、
飲み過ぎて酔っぱらったり、晩酌をしているだけでもアルコール依存症、
気分転換にパチンコ屋に行ってもギャンブル依存症、
暇つぶしや好きなゲームをしているだけでゲーム依存症、
生活のために身を粉にして仕事をしていても仕事依存症、

いったい依存症の定義とは何なのか?
ハマりと病気の境界線は?

日常生活に破綻をきたすまでハマってしまえば依存症、
嗜好品として流通している「酒」は、適量の依存であれば日常生活が破綻しない。
「酒」も香りや味、その場の雰囲気を楽しむために飲むのなら問題ないが、
日頃の無力感やイライラやストレスを解消する目的で、「酩酊するために飲む」のは危険だ。

適量の依存であれば、「今はダメ」と分かっていたら何時間でも我慢でき苦にもならない。
法で認められて販売されている商品なのに、
マナーを守って“スマートな依存”に止めている人たちにまで規制を強めるのには違和感を覚える。

「健康で長生きこそ正義」という世界的な流れになっているから、
予防医学や公衆衛生上、飲酒や喫煙に規制がかかるのは仕方ない。
しかし、いつまでも100%健康な人はいないし、
少しぐらいダーティーな部分があってもいいのではないか?
普段は健康に良いものばかりを食べていても、たまにはジャンクフードも美味しい。

「嗜好品」を楽しんでいるのか、問題のある「嗜癖」なのかを区別するのは、
楽しいか楽しくないかである。
「嗜好品」は日常生活が充実していて、そのうえにプラスアルファの付加価値をつけるためのもの。
「嗜癖」はネガティブなマイナスの気持ちを解消するための行為で、
どこまでのめり込んでもゼロベースに戻るだけ。
そのようないうことを理解せずに、少しでも健康に悪いことは規制というだけでは、
ますます窮屈な社会になり、「健康」の範囲がどんどん狭くなっていくのではないかと心配する。

俺の場合は、酒を敵視しなければ再飲酒の恐れがあると考えたうえで「一生断酒」を決めている。
もし、過去に適量の酒を飲んでいたならば、今でも大好きだった酒を飲み続けていたことだろう。
まあ、お調子者で羽目を外して仲間とバカ騒ぎをするのが好きだった俺には、
適量で済ますということは、「つまらない」、「場の空気を読めない」ということだったのだ。

俺にとっての酒は、常に自分を楽しくさせてくれるアイテムだった。
だから、苦しい時、不安な時、寂しい時に、待避所として酒を選んだのだと思う。

「飲みすぎ注意」とは、肉体的なものばかりではなく、
精神的に追い込まれてしまったときに、逃げ道として利用してしまうから、
「ほどほどししておけよ」って意味なんだと思う。


つづく。


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