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ヒマと不安と飲酒

アルコール依存症について書いてある書物を読み返してみた。
アルコール依存症になりやすい人、その性格、依存症になったらどうなるか、その時家族は、など、
最初にその本を読んだ時は、あまりにも自分に当てはまり過ぎて納得したのだが、
断酒も7年目ともなると、その本に書いてあることは、
「アルコール依存症になるなよ」、
「アルコール依存症は怖い病気だぞ」といった、予防のためのものだとわかった。

今冷静になって再考してみると、
なぜ病気になるまで飲み続けてしまったのか、酒に逃げたのか、何を考えて飲んでいたのか、
そんなことを考えられるようになった。
20代前半のころは美味しく楽しい酒だった。
二日酔いも武勇伝の一部だった。
酒を飲んで大人の仲間入りができたような気がした。
25歳で結婚し、子供が産まれ、職が変わり仕事と家庭の環境が変化し始めたあたりから、
日常の生活に対するうっ憤を晴らすような飲み方に変わっていった。
家の仕事に入って間もなく親父が脳梗塞で倒れ、それからは毎日が必死だった。
酒席では楽しく飲めた、仕事関係や各種団体の飲みニケーションをフルに満喫していた。
家では子供中心の生活だったので晩酌はあまりしなかった、独りで飲む酒は美味しくなかった。
ただ、飲まないと眠れないと信じ切っていたので、寝酒は毎晩していた。

40代に入ったころ、いわゆる「青年の部」の役を下り始め、
「おじさんの部」の集まりには、まだ下っ端だったので出なくても良くなった。
道交法の改正により飲酒運転への罰則も厳しくなり、酒宴の回数も明らかに減った。
バブルの名残も終わり、リーマンショックもあり、仕事も甘くなり始めていた。
家飲みの時間と飲酒量が増えていった。

とにかくヒマな時間を極端に恐れる俺は、あの手この手で時間を有効に使おうとしたが、
資本力の乏しい弱小零細企業では、その努力も限界があった。
ヒマな時間が増えるにつれ、誰にも邪魔されない独り飲みの飲酒量も増えていった。
もしこんな時にパチンコにハマっていたら、
アルコール依存症ではなくギャンブル依存症になっていたことだろう。
幸い、30代のころパチスロに数年ハマっていた時代もあったが、
4号機終了とともに見切りをつけていたので、パチスロにはハマらずに済んだ。
あの頃は勝てる時代だったので、俺にとってのパチスロは夕方5時からの副業でしかなかった。

アルコール依存症と肝硬変を発症してからは、酒を飲んでいないのだが、
無糖炭酸水とコーヒーが止まらない。
酒の代わりに甘い物を食べるようになった。
酒以外に趣味が無かったので、子供たちの送迎と清掃、ゴミ出しなどの家事をするようになった。
猫やメダカを飼い始め、小さな畑で野菜を作るようになった。

何かしていなければ不安になってしまう俺は、今でもヒマな時間を恐れている。
依存するものが、身体を壊す酒から家事や飼育や栽培などの、
身体を壊さないものに依存するものが移っただけだ。

結局,
人間の性質は根本から治すことはできないんだよな。


つづく。


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