SSブログ

厳しい大人、無責任な優しさ

高校野球部で指導を行っているイチロー氏の発言をまとめた記事を見た。
「大人に叱ってもらえないZ世代」という内容の記事だ。
しかし、50歳で138km/h投げられるなんてスゴイ。

厳しくしごく旧来的な指導法は、時代遅れの陋習として否定的に語られる向きが強まっている。
近年では部活動でのハラスメントや体罰がしばしば問題になることも増えている。
指導する側も厳しくできなくなり、高校生たちは自分で自分を厳しくするしかないという。

俺たちのころは厳しい指導は当たり前で、厳しい指導に「なにくそ!」と自分を奮い立たせた。
指導する側も普段は優しいが、教えるときには厳しい指導者を演じていた。
生徒たちもそれを理解したうえでしごかれた。

現代は体育会系の指導を受けずに済むことは「いいこと」であるように捉えられている。
一見すればやさしさをまとってはいるが、それは若者たちに「自己責任」を課していることとなる。
それは「自分で自分を厳しくコントロールできない者はそのまま放置される」ということだ。
だから今は、全然できない子は上げてもらえないから上がってこられなくなってしまっている。

部活動に限った話ではなく、一般企業の教育・指導にも共通した問題だ。
いまは上司や管理者が部下に厳しい指導をしようにも、
ハラスメントとして告発されてしまうリスクが高いし、
厳しい指導をしたせいで心が折れたり気持ちが萎えたりして辞められてしまうのは、
人手不足の状況では死活問題になってしまいかねないため、うかつに踏み込めないでいる。
なので教育者・指導者側も、自分の言動を慎重に選んで注力するようになっている。
心が折れて辞められたりすることがないよう、腫れもの扱いしながら言動をオブラートに包む。
結果的に自分に厳しくできない人は、やさしく遇されやすくなり快適な日々を送ることができるが、
タフな人とは経験値や成長度で格差が開いてしまい、あっさり切り捨てられることもある。

「厳しい大人」というのは、若者を一定のラインまで引き上げることを、
責任をもって保証してくれる人でもあった。
いまの時代は、そういう「厳しい大人」という存在を、子どもたちにとって加害的であり、
抑圧したり心の傷を負う原因となってしまうリスクがあるということで排除される。
完全に「自己責任」になってしまったことで結果として世の中は二極化が著しくなっている。
「勝ち組」はライバルが減った分だけその取り分が大きくなったが、
「負け組」は救済の論理はなく、あっさり「自己責任」として突き放される。

教える相手を「お客様」のように遇するため、
配慮が必要な人に対しても根気強く教えず早々に見限ってしまう。
拗ねてしまうような若者には、あえて成長を促す指導はせず、
心が折れない程度のコミュニケーションに留め、
過度なプレッシャーにならないくらいの仕事をあてがうくらいが合理的だと判断されるようになる。
そうしているうちに、自分で自分を厳しく律して行動する人とのスキルや成果の格差は開いていく。
相手を「お客様」のように接することで、それで相手が変な方向にのぼせ上がってしまおうが、
現状に満足して停滞してしまおうが、極言すれば「知ったことではない」ということだ。
今の世の中では「厳しい大人」よりも「無責任なやさしさ」のほうが優遇されるのかもしれない。

ウチの子供たちもなかなか感情を表に出さないというか両親との接し方はとてもライトだ。
「あの時は大変だった~」、「気が狂いそうになったよ」と、過去形での話は聞くが、
一番苦しい時には「余裕だよ」と、平静を装っている。
俺もそんなやせ我慢をするタイプだが、
彼らも自分の中で自分を厳しく律しているんだなと思った。


つづく。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アルコール依存症へ
にほんブログ村


アルコール依存症ランキング
アルコール依存症ランキング














nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:健康