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お盆は病院で

俺はどん底だった自分を定期的に振り返るようにしている。
それは、あのころのダメダメだった自分を忘れないためだ。

3年前のお盆は精神病院の中に居た。
2週間の保護室、2ヶ月の閉鎖病棟の入院を終え、
解放病棟での断酒プログラムも1ヶ月を過ぎ、
院内プログラムと各自助グループの例会やミーティングにも慣れて来たころだ。
真夏の暑い日も病院内はエアコンが効いていて快適だった。
7月末から8月の頭にかけて、1回目の義務外泊も済ませていた。
義務外泊では、お盆には病院に戻らなければならないので墓地の草取りと墓石を磨いた。
清掃中には姉夫婦も様子を見に来てくれた。
近所のおばさんも「退院おめでとう」と言ってくれたが、
「また病院に戻らなくちゃいけないんだ」と返した。
その義務外泊中にはスリップ事件もあった。
500mlのチューハイ、それもストロングを飲んでしまったのだ。
「1本くらいなら大丈夫だろう」と、軽はずみな考えだった。
当然妻には飲酒が発覚し、病院にチクられた。
今から考えてみれば、1本で済んで良かったと心から思う。
  
病院に戻ると、お盆ムードなど無い。
スケジュール通りの入院生活が淡々と続いた。
自助グループの例会も毎月のスケジュール通りだったので、お盆を感じさせなかった。
朝晩に自発的に始めた中庭のウォーキングも、日々のスケジュールの1つとなっていた。
唯一の楽しみは、夏の高校野球県大会のテレビ観戦だった。
入院患者は県内外各地からやってきているので、みんな母校の応援は本気だった。
各階ホールに毎日届くスポーツ新聞は、ちょくちょく盗まれた。
決勝戦の日はテレビ観戦のために、院外研修である断酒会の例会に遅刻した。
例会場のある駅に到着すると、○○高校優勝!と書かれた号外を受け取った。
今でもその号外とその年の県大会トーナメント表が手元に残っている。
  
お盆を過ぎると、退院日からの逆算が始まった。
財布の中身と相談をして、洗濯の回数、コーヒーを飲む回数、院外研修の電車賃を調整した。
コーヒーをやめて、病室の蛇口から出る水道水を飲むようになった。
1,800kcal/日の肝臓病メニューの食事だったので、空腹を水道水で満たしていた。
体重は入院時より10kgほど減っていた。

そして退院が近くなると、仕事に対する不安、家庭生活に対する不安が日増しに高まっていった。
家族や周囲は、以前のように俺に接してくれるか?
陰口は叩かれていないか?
家族も被害を受けていないか?
俺にとっての退院は、嬉しさよりも不安感のほうが勝っていた。
こんな病気にかかってしまったことを、今もこれからも反省し背負っていくよ。

明日は、退院後のお盆について書くことにするよ。


つづく。






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