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病気だからと甘えずに

俺のアルコール依存症についてもう一度考えてみた。
俺はこの作業を定期的に行って、あの頃を忘れないようにしている。

幼少期のころから俺の周りでは人が集まると常にそこには酒があった。
田舎でそれしか楽しみが無いと言えばそれまでだが、周りの大人たちは酒を囲んで楽しそうだった。
その光景がとても羨ましく感じ、俺も早く大人になって酒が飲みたいと思っていた。
同年代の先輩や友人たちも同じことを思っている者が多く、
高校生のころから隠れてみんなで飲んでいた。
「なんでこんなまずいもの飲むの?」と思いながらも、
「この味に慣れて早く大人の仲間入りがしたい」とも思っていた。
その行為は、少し罪悪感もあったが、なんとなく大人になったような気がした。
就職してからは、水を得た魚のように時間を見つけては夜の街に繰り出した。
親父が早くに倒れ、親父の代役でいろいろな会合に出始めたころには、
「仕事には飲みニケーションも必要だ」と勘違いしていたころもあった。

単なる酒好きならば、ある程度でブレーキが効くところだが、
当時の俺はいろんな壁にぶつかり、逃げ道を酒に求めた。
そして49歳のときに底つきを経験し死にかけ、断酒生活を余儀なくされた。
ざっと振り返ればそんなところだが、断酒を始めてアルコール依存症を勉強し始めたら、
これは精神病なんだということがわかり、そこで俺はなぜか安心してしまった。
「病気なんだからしょうがない」って。

病気だと思えば、少し気が楽になって先に進める気がした。
医師や家族、断酒会の人たちもそう言って励ましてくれた。
しかしそれは「励まし」ではなく「哀れみ」だったのではないかと最近思い始めた。
仕事上の付き合いの人は、俺の病気を知っているのだろうがその話題には決して触れて来ない。
「病気」ということになると有識者たちは、
アルコール依存症について様々な分析をし、治療法や回復法を提案する。
だがそれは一般論に過ぎず、過去や現在の症状、個人の持つ性格は人それぞれ全く違うものであり、
一言で片づけられるものではない。

俺が最近感じていることは、
「病気を理由に甘えすぎていたんじゃないか?」
「病気のせいにして逃げていたんじゃないのか?」ということだ。
社会では辛いことや不安に思うことがあっても、
大多数の人が酒やギャンブル、薬物に依存せずに頑張っている。
「依存症は意志が弱いからではない」と言われているが、
病気だということにあぐらをかいているのではないのか?
世間は「病気だからしょうがない」と、許してくれるほど甘くないと思う。
原始的な「断酒根性論」も、少しはアリだとも思う。
依存症は、病気だからと守られるものではない。
個人の努力なくしては、回復の道は開かれないと思う。
三度の食事より大切だった酒を断つということは、並大抵の努力では挫折しかねない。
俺は原始人だから言うが、
病気のせいにして「辛抱・根性・努力・我慢」の精神も捨ててはいけない。

これを公の場で言うと、反感を買うだろうな。


つづく。

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