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字がミミズ

昨日の続き ↓
今日は、入院中に書いたノートとカレンダーへの書き込みをもとに振り返ってみる。

昨日書いたように、入院手続きをしようにも手が震えて自分の氏名も書けないほど、
自分の足で歩こうにも立ち上がることもできず、車いすで入院するほど、
俺のアルコール依存症は末期的症状(底つき)だった。
それに脳ミソも身体もボロボロで、ショック死の可能性もあり、
医師から「72時間以内に変化があったらもしものことを考えておいてください」
とまで言われていた。

最初に入った保護室では、筆記用具を持たせてもらえなかったので日記は書いていない。
その後閉鎖病棟に移った4月25日から、日記とスケジュール表を書き始めている。
文字は力のないミミズみたいな字だ。
日程表を工程表と書いている。
日記には保護室のことを別館、閉鎖病棟のことを本館と書いている。
当時、夢と現実の区別がつかず、病院のロビーには赤いじゅうたんと
周り階段と吹き抜けにはシャンデリアが吊られていると書いてある。
まるで温泉地の観光ホテルと勘違いしているようだ。

スケジュール表には毎日の大小便の回数、起床就寝、食事、投薬の時間と、
風呂の時間が書いてあった、風呂は週2回で男女別だった。
それに、衣類、日用品、マンガ本など、面会で妻に持って来てもらう物リストがあった。
携帯禁止なのでテレホンカード、精神病院がゆえ自殺防止のため、
長い靴下は禁止なので短い靴下、
コードやベルトなどのひも状のものも禁止なので電池、腰ゴムのズボン。
もちろんカッターナイフやハサミも持ち込み禁止だ。

閉鎖病棟にいる間は、書き損じも多く文字も荒れている。
それに、書いている内容も支離滅裂だ。

入院して2ヵ月が経ち、SMARPP-24の勉強を始めたころから文字に力が入って来た。
42度の謎の高熱が下がったころから、現在俺が書いている文字に近づいている。
書いている内容もまともになった。

文字と思考がはっきりし、現実を受け止められるようになってからは、
「早く子供たちに会いたい」「早く退院して社会復帰したい」という欲望が湧いて来た。
それと同時に、忘れていた飲酒欲求も戻って来たが、病院には酒が無い。
当時の精神病院の入院病棟には喫煙室があったので、喫煙欲求も生まれた。
だが、もうその頃はアルコール依存症についての勉強を始めていた。
それに断酒プログラムも始まっていたので、「酒は毒」という意識のほうが勝った。

俺と同レベルに酒浸りになってしまったら、精神病院の入院は正解だったと確信している。
ただその入院も自発的ではなかった。すべて妻が準備してくれた。
末期症状の俺は、そこまでの思考能力は持ち合わせていなかった。
今更ながら、家族や周りの人が居たから俺の命は救われたと思っている。

つづく。


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