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精神病院入院の記憶

精神病院入院直前から5ヵ月間の体調の変遷を、おぼろげな記憶をもとに振り返ってみる。
このように、たまに初心に戻ってその当時のことを忘れないようにしている。

平成29年(2017年)4月
連続飲酒がいつごろから始まったのかは定かではないが、
入院1週間前くらいから腰が立たなくなり始め、酒の買出しに行けなくなった。
焼酎は以前に箱買いしてあったので、備蓄酒にはあまり困らなかった。
空いたペットボトルを捨てに行けなくなり、部屋に山積みして毛布を掛けて隠した。
寝ている状態から立ち上がるのも困難なくらいふらついていた。
食事は朝晩2回用意してもらっていたが、ほとんど口を付けられずに捨てていた。
そのころ、次女の大学入学、末っ子長男の高校入学と重なり、
妻も忙しく、俺はほとんど放置状態だった。
子供たちの人生の節目のときにも、無気力な俺はそれに携わろうとしなかった。

入院3日前から、妻の肩を借りないと歩行が困難になった。
入院前日、ついに備蓄酒が無くなり、夜中に料理用ワインをキッチンからくすねた。
その日の晩から翌朝にかけて、そのワインを1本飲み干した。
辺りが明るくなったころ、突然の吐き気に我慢できなくなり窓から顔を出して裏庭に吐いた。
飲んだのが赤ワインだったので、それが吐血だと気づかなかった。
その直後、今度は激しい便意に襲われた。この感じは下痢だなとわかった。
急いでトイレに向かったが足がふらついて、たどり着く前に少し漏らしてしまった。
妻の介助もありようやくトイレにたどり着き、汚れたパンツを窓から裏庭に捨てた。
用を足しながらも次々に襲ってくる便意と吐き気、
便器の中と抱えた洗面器は血で真っ赤に染まった。
俺がトイレに籠っている間に、妻は前もって相談していた病院に電話をしたそうだ。
一時的に吐き気と便意が収まり、便器を掃除していざ立ち上がろうとしたが立てない。
しかたなくほふく前進でトイレから脱出したところで布団に寝かされた。
便意は収まったが吐血はその後も続いた。
病院からの指示で緊急入院となった。病院窓の道中も洗面器を抱えて吐きっぱなしだった。

病院では入院手続きをしようにも手が震えて自分の氏名が書けなかった。
入院初日から12日間は、ガッチャン部屋と呼ばれる鉄柵と鍵付きの保護室。
部屋の中にはフタの無い便器とせんべい布団だけで、餌付けされながら過ごした。
その後2ヵ月間、閉鎖病棟で睡眠以外は食事と排泄だけの日々を過ごした。
そしてようやく開放病棟に移され、断酒プログラムを開始したが
俺の症状は重くまだ夢と現実の狭間に居た。そしてもう一度閉鎖病棟に1ヵ月間戻された。
その後2度目の開放病棟への引っ越しを済ませ断酒プログラムに入った。
だがそこで原因不明の高熱(42度)に見舞われ、今度は特別室という個室に移された。
熱も下がり、特別室滞在が7日を超すと別途料金が発生することを知り、
ナースステーションに申し出て、開放病棟に戻らせてもらった。
3度目の正直、ようやく断酒プログラムを開始することが出来た。
そしてその1ヵ月後、5か月に及ぶ入院生活に終止符を打ち退院することになった。
なお、精神病院入院中も、肝臓の病院への通院も頻繁に行っていた。

明日の日記もこの続きを書く。


つづく。


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